一切の無駄を省いた美しいフォルム。そこに存在するだけで圧倒的な威力を秘めた日本刀は今、国内外で人気を博しています。2022年1月、若い刀鍛冶たちによるこの日本刀の制作・販売会社「日本玄承社」の鍛冶場が立ち上がりました。
なぜ、刀鍛冶に? なぜ京丹後で? なぜ3人で会社を? などなど聞きたいことだらけ。彼らの刀鍛冶としての思いと共にお話を伺いました。
時代劇好きの少年たちが刀鍛冶に
丹後半島の北側。立岩で有名な間人(たいざ)のほど近くに2022年1月、刀剣小鍛冶社コンクール受賞経験のある若き刀鍛冶――黒本知輝さん(35)、山副公輔さん(32)、宮城朋幸さん(32)の3人による日本刀の制作・販売会社「日本玄承社(にっぽんげんしょうしゃ)」の鍛冶場が誕生しました。
3人が修業したのは、東京で日本刀の鍛冶場を開く吉原義人(よしんど)氏のもと。吉原氏といえば現在の刀職制度の中で最高位といわれる称号「無鑑査刀匠(むかんさとうしょう)」であり、東京都指定無形文化財保持者という人気・実力ともに当代を代表する刀匠です。刀剣が好きな人ならば知らない人がいないほど、有名な方なんです。
そのような素晴らしい師匠についてたという3人。今でこそ刀剣はアニメやゲーム、舞台等で人気ですが、彼らがこの道に入ったのはブーム前のこと。
何がきっかけで? と尋ねると黒本さんが「実は3人とも理由がほとんど一緒で、まとめて話してもいいぐらいなんです(笑)。僕らは幼少期から時代劇やチャンバラなどを映画やテレビ、マンガなどで見て、刀に憧れをもっていたんです。それで中学生の頃には刀鍛冶になりたいと思うようになりました」
刀に憧れを持った少年たちは刀を眺める側ではなく、作る側になりたいと思ったんですね。
山副さん「刀を作れたらカッコイイだろうなと思ったんです。僕は、高校進学はせずに師匠に弟子入りしたいと手紙を送りました。そうしたら『高校は出なさい。3年経ってもやりたいのだったら、いつでもおいで』と言っていただいて。それで高校を卒業して師匠の元へ行きました。とはいえ最初は断られてしまい、1週間見学に通っていたら『立っているだけだとヒマだろう』と。それで鍛冶場に入ることができました」
お返事をいただいたからといって、すんなりと弟子になれるわけではないのですね。これは、なかなか厳しい世界。
黒本さん「私は山副と同じく大阪出身なんですが、中学3年生の時に親に刀鍛冶になりたいと相談したら『遊んでもいいから高校にいってくれ』と言われました。それでむちゃくちゃ遊びまして、高校を出たのが22歳(笑)。その間、バイク屋さんやバンドを手伝ったりしていたのですが、きちんと進路を決めようと思った時、やはり刀鍛冶になりたいと思ったんです。それで刀剣の展覧会で師匠の作品を見て、弟子になりたいと東京に移り住んでしまいました」
弟子入りを許可してもらったわけではないのに、いきなり東京に移住してしまうのですね。
「最初は断られたのですが、師匠に『見学だけでもさせてもらっていいですか?』とお願いしたら、師匠は優しいので『いいよ』っと言ってくださった。『明日も来ます』と毎日通っているうち、『そういえば弟子になりたんだって?』って言っていただいて、気が付いたら弟子入りしていたという感じです」
宮城さん「僕は高校生の時に刀屋さんに刀鍛冶になるにはどうしたらいいのか話を聞きに行ったりしたのですが結局、大学へ進みました。でも、師匠の作る刀のシャープさ、派手さ、その他、色々なカッコ良さに魅かれ、大学4年生の時から月1、2回、1日中見学させてもらうようになったんです。大学を卒業してから5月に『入っていいよ』と言っていただきました」
最初は断られたものの無事に弟子入りできた3人。当時、弟子は彼らを含め7人ほどおり、まずは兄弟子について、燃料の炭を切ったり道具を直したり……という雑用からはじめていくことになります。
もちろん給料はありませんが、その分、師匠のところでは勉強代などを払うこともなかったので平日は9~18時まで修行をし、夜や土日は自分の生活費を賄うためにアルバイトをするという生活だったそうです。
真夏の暑い日も、凍えるような寒い日も鍛冶場で修業し、順次、刀匠資格を取得した3人。吉原氏の所には半独立した弟子が借りられる鍛冶場があり、師匠の仕事をしながらここで自分たちの刀も作るようになります。そこは泊まれるようになっていて、3人とも歳が近いのもあり自然と日本刀業界のこと、将来のことなどを話す機会が多くなりました。
刀鍛冶になるには……日本刀を作刀している刀鍛冶に弟子入りして4年間修行をした後、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」に参加。8日かけて作刀の行程を実際に行ない、基本の技術を確認する試験を受け、修了することが条件。
自分の鍛冶場を持ちたい
中でも「自分の鍛冶場をどうするか」ということは重要でした。しかし、そう簡単に作れるものではありません。小屋程度の鍛冶場を建てるだけでも約1000万円は必要。そこで銀行などに融資のお願いに行きますが……
黒本さん「そこでまず、つまずくんです。僕たちは若い時から師匠の元で修業をしてきましたが、収入源はアルバイトだったので社会的信用がない上、刀鍛冶としての実績はありません。それに刀業界の規模や市場シェアが分かりにくく、お金を借りるのが難しい。借りられても1人200万円が限度だったんです」
そこで「3人で協力して知恵を絞ってやっていこう!」と決めたのです。3人とも「刀の業界を切り開きたい」という思いもあり、会社を設立することにしました。
さらにそのタイミングで、なんと宮城さんの名づけ親である方が出資をしてくださることに!金銭面での問題にも光明が射しました。
早速、鍛冶場となる土地探しが始まりました。場所もお客さんが訪ねやすいように東京駅から1時間圏内を探しますが、やはり土地代が高く、またカン!カン!という槌(つち)の音や振動、鉄を熱するために使う炭の粉が周囲に飛ぶので住宅街に作るのも難しく、2年間ほど決まりそうになってはダメの繰り返しだったそうです。
そんな時、山副さんの親戚から京丹後市にある祖父母の家が空き家になると連絡が……その家は山副さんが子供の頃、毎年夏になると遊びに来ていた思い出の家でした。
山副さん「当時は関東圏にこだわって探していたのですが、頭の片隅に京丹後の家のことはあったんです。そのような中でコロナ禍となり、場所は関係ないんじゃないかなと思うようにななりました。そこで2人に、京丹後はどうだろうかと相談したタイミングで、この家が空き家になることになったんです。2人を連れてきたら気に入ってくれて。親戚も僕たちが使いたいといったら喜んでくれました」
さらに子供の頃から山副さんを可愛がってくれていた、近所にある民谷螺鈿株式会社の民谷勝一郎さんのサポートも強力でした。
山副さん「ここで工房を持つことを考えていると伝えたら、『できることがあったら何でも言ってくれ』と言ってくださって。銀行への相談や、工務店を探してくれたりと全て手配をしてくれて。また市長さんも紹介していただきました。何より京丹後市がすごく歓迎してれたのも決め手になりました」
決まり出すと、事は一気に進み出しました。会社設立したのが2019年。そして2021年に鍛冶場の建設に着手。2022年1月に無事、「火入れ式」が行われ、念願の鍛冶場を開くことができました。
刀に導かれるように京丹後市へ
ところで移住してきてから3人には驚くことがありました。
それは京丹後市が刀と繋がりが深い土地だということ。例をあげると、京丹後市久美浜町にある神谷神社(神谷太刀宮)には、丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)が身につけていたという宝剣「国見の剣」がお祀りされているといわれています。
それから山副さんが聞いた話では、すぐ近くにある竹野(たかの)神社には麻呂子皇子が鬼を切った刀を奉納したという言い伝えがあるそう。麻呂子皇子といえば聖徳太子の異母弟で、当地には鬼退治の伝説が残っています。
中でも最も驚いたのは、鍛冶場から車で10分ほどのところにある「遠處(えんじょ)遺跡製鉄工房跡」。ここは古墳時代後期と、奈良時代後半~平安時代前期にかけて営まれた古代の製鉄コンビナート跡といわれています。
発掘調査で古墳時代後期の製鉄炉跡や木炭窯跡が見つかり、わが国で鉄を原料から生産した最古級の製鉄遺跡のひとつと言われているのだとか。
それらを知った時、山副さんは「ここに来るための2年間だったんだって運命を感じました」、黒本さんも「刀に関する歴史や伝承が多くて、丹後でやる意味も見いだせた訳です。導かれたという感じですね」と言います。
自分を代表する刀を一振り作りたい
鍛冶場ができた今、未来に向けてどのようなことを考えているのでしょうか。
黒本さん「まずはコンセプトを決めて会社を代表する刀を一振り作りたいと考えています。例えば柄(つか:握って掴むための部分)などを民谷螺鈿株式会社さんと作ったり、刀の刃文(はもん)に京丹後の山並みや海波を写したり。その他、金具など京丹後の工房や作家さんと何かできないかなとも思っています」
コンセプトを決めて刀を作るということは、珍しい取り組みだと感じました。
黒本さん「そうですね。その他、企業とのタイアップをして様々な方向を見出だせたらなとも思っています。時代に合わせていくのも重要ですし、そのためには技術がしっかりしていることが大事。僕たちの強みは技術的なところもあると思っているんです。というのは僕らの師匠は素晴らしい技術を持った方で最初から最後まで正確、かつ大胆な仕事をされます。さらに工程ごとの仕事も素晴らしく、僕らはそれを直に見て学んでいるので、そこに強みを感じています。自分だけの一振り、そういう刀が欲しいと思っていただけるように、どんどん作っていきたいです」
購入した後、現代生活に合わせた飾り方を提案できたらとも考えているそうです。
確かに、購入した後、普段は押し入れの奥深くにしまっておき、休日に出して眺めるような印象があります。実際、飾るとなると、どうしたらいいのかイメージがわかない方が多いように思います。
黒本さん「そうなんです。刀は精神的な側面も強くて強い心でいるためのお守りとして持っているだけでもいいという考え方もできるんです。ですから普段はしまっておき、時折り出して眺める。それはそれで一つの方法。ですが飾ることと、お守りとしての存在、両方が叶えられる展示方法を提案できたらと思っています。将来的には自社で、刀からケースまで全て完成させられるシステムができればなと思っています」
美術館などで観る刀は美しいだけでなく、そこにあるだけで独特の力、威力を放っている印象があります。
黒本さん「切れるからこそ日本刀なんです。日本刀は武器という側面があるので、外見が美しくても切れない刀ではいけないと思っています。切れるからこそ美しい。そこを重要視して作っています。実際、使うことはないけれど、使った時は自分を守ってくれる。そういう刀を作りたい思っています」
それから3人にはもう一つ願いがありました。
山副さん「刀は武士のステイタスシンボルでした。その地位を取り戻したいですね。日本刀を持つことに憧れて、購入したいと思えるような魅力を発信していきたいです」
後者に伝え、社員として育てる
師匠から教えられた技術を後世にも伝えていきたいという3人。会社にした理由のひとつに、「後継者を社員として育てていく」というものがありました。自分たちがその部分で大変だったので、そういうところも変えていきたいと思っているそうです。
山副さん「日本玄承社がやっていることがあたりまえになればいいなと。刀鍛冶業界を変えていくぐらいの気概でやっていきたいと思います」
熱い情熱を持ち、しっかりと自分の考えを語る3人。近い将来、きっと彼らの思いが叶うことでしょう!
■■INFORMATION■■
日本玄承社
京都府京丹後市丹後町三宅314
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