「グンゼ」といえば、シャツやストッキングなど子供の頃からお世話になっている人も多いのではないでしょうか。こんなに身近にあるグンゼですが、創業は明治時代で製糸業からスタートした会社だってご存知でした? しかも、かつて社名は漢字で「郡是」と書き、創業の地は京都府綾部市なんです。こんなに長年、お世話になってきたのに知らないことだらけ。そこで今回はグンゼについて知るべく、綾部市にある「グンゼ博物苑」に潜入してみました~。
本日の目的地、「グンゼ博物苑」はJR綾部駅から歩いて10分の「あやべグンゼスクエア」内にあります。グンゼ創立100周年を記念して1996年、発祥の地であるこの地にかつての繭蔵を利用してオープンしました。
左が集蔵、中央奥から手前に向けて創業蔵、現代蔵、未来蔵になっています。
5つの蔵からなり、グンゼの歴史を紹介する「創業蔵」、事業を紹介する「現代蔵」、未来へ向けての取り組みを紹介する「未来蔵」、イベントなどを開催する「集蔵」、受付や観光情報が得られる「今昔蔵」に分かれています。
まずは、歴史を学ぶべく創業蔵から入ってみましょう。
創業者・波多野鶴吉の波乱万丈な人生
2階展示室の入り口。グンゼ創業者の波多野鶴吉(右)と妻・はな(左)の顔出しがあります
1階は蚕糸業で使用していた機械や道具などを展示。2階はグンゼの歩みを紹介しています。私、驚いたのはグンゼの創業者である波多野鶴吉氏の生涯でした!
鶴吉が生まれたのは幕末の安政5年。ちょうど「安政の大獄」があった年に綾部の大庄屋の次男として誕生しました。しかし、いくら大庄屋といえども家を継げるのは長男のみ。そこで名家の波多野家の養子に入りました。
中央がはな、その右が鶴吉
そして17歳で京都市内の中学校に進み、翌年に養家のはなさんと結婚。それからは京都で学問の道を志し数学の本を出したり、いくつもの事業を興しますが、これが次々と失敗! そのうえ花街で放蕩三昧をし、養家の家田畑を売り財産を使い果たし、失意のうちに綾部へ帰るのです。時に鶴吉23歳(まだ23歳なのに! 結婚してまだ5年目なのに!!)。しかも、自分の家の財産を夫に使い果たされても鶴吉と別れなかった奥さんのはなさんってすごい(涙)。
執務中の鶴吉
さて、鶴吉が帰った明治時代の綾部は養蚕・生糸業が盛んで「蚕都」とも呼ばれていました。帰郷後は小学校の先生になりますが、養蚕農家の子である生徒たちがあまりにも授業中に寝ているので、家庭訪問したところ各家の劣悪な環境に愕然。この状況を何とか改善しよう蚕糸業について学んだ後、何鹿郡(いかるがぐん=綾部のこと)蚕糸業組合長に就任し、養蚕伝習所を開校するなど養蚕・製糸技術者の養成に取り組むのです。
そしてキリスト教に出会い32歳で洗礼。今まで一旗揚げるために数々の事業を起こしてきたけれど、これからは人々のため蚕糸業の振興のためになることをしよう! と明治26年、38歳の時に「郡是製絲株式会社」を設立するのであります。
グンゼの主な生糸商標。英語表記からもわかるように、海外に輸出されていた
この「郡是」という社名の「郡」は何鹿郡の郡、「是」は方針、進むべき道のこと。単なる利益追求の会社ではなく何鹿郡や蚕糸業の発展を目的とし、絹糸を製造する会社を作ったのです。今までとは全く違う人生になってきましたよ。
4年で鏡台、7年でタンス
明治時代、日本各地に製糸工場がありましたが、どの工場でも重要な働き手は女性たち。でも、その仕事や環境は厳しく、世間では「女工哀史」などと言われていました。郡是では地域の養蚕農家の子女が働きにきていましたが、彼女らを「女工」とは呼ばず「工女さん」と呼び、とても大切にしたそうです。
しかも、「善い人が良い糸をつくり、信用される人が信用される糸をつくる」という鶴吉の信念から寮舎や学校を設立。終業後や休日に授業がわれました。
だから「あそこは表は工場だが、裏は学校だ」なんて、噂されたんですって。一種、花嫁学校的な要素も担っていたのかもしれませんね。
勤続4年目の工女さんがもらったという鏡台
しかも勤続4年の人には鏡台、7年だとタンスがもらえたそうです。鏡台を持っている人なんて当時、そういなかったでしょうから、工女さんたちの憧れだったでしょうね。これを持ってお嫁に行くということは、きっと誇りだったんだろうなあ。
あれも、これもグンゼだったの?!
さて、歴史を知ったところで隣の「現代蔵」へ。グンゼといえばのストッキングやそのポスター、下着アパレル事業のあゆみが紹介されています。「あ!このポスター知ってる!」「このパッケージ懐かしい」などというのが沢山あって面白かったです。
「現代蔵」では、グンゼの最新の製品や技術を紹介。グンゼって繊維製品だけを作っている会社だと思っていたのですが、ストッキングなどの包装フィルムを自社で作っていることから、その技術を活かし、あのしょう油のパッケージや、あのペットボトルジュースのパッケージもグンゼで作っているんですって!!(写真は撮れなかったので行って、見てください)。それからタッチパネルや生体吸収ポリマー(身体の中で溶ける糸など)による医療器材等も製造しているそうですよ。
また、「未来蔵」では夢ある商品が展示されていました。電機を通す繊維を使い、クッションに触れると音が出る布ピアノや、冷感性の繊維などを使ったシャツを乳牛に着せ、暑さストレスを軽減させる「ウシブル」などというユニークな商品を多数展示。来苑者にグンゼにどんな商品を作って欲しいかを募集したコーナーではユニークなアイディアが沢山あって面白かったです。
鶴吉さんにはこのように、どんどん展開していく未来が見えていたのでしょうか。
グンゼで「レトロ・クラシックな京都の近代建築をめぐる旅」
ところで通りを隔てて隣には、こんな素敵な洋館が! 聞けば大正6年に本社事務所として建てられた建物だとか。現在は「グンゼ記念館」として毎週金曜日に公開されています。ちょうど本日は金曜日!! ラッキー! ということで、お伺いしてみました。
こちらは1階の事務所。ここがカウンターになっていて、取引先の人がここの小窓から手続きや書類を出したりしたそうです。
奥には立派な金庫がありましたよ。
立派な木を使った階段手摺を上がって2階へ。
美しい電気のスイッチからも、大正という古き良き時代を感じます。
こちらの2階でも、グンゼ創業時からの歴史を展示。
「創業蔵」は丁寧なパネル解説を加えた展示でしたが、こちらは本物の資料が展示されていました。しかも、こちらへは大正6年に大正天皇の皇后である、貞明皇后が行啓されたんですって。当時、それはもう、上を下への大騒ぎだったとか。明治29年に創業し、大正6年には皇后がおなりになるほどの企業になるとは、すごいなあ。
和室には、昭和2年に50年後の綾部を夢見て描いた大きな掛け軸がありました。タイトルにある「蚕都」とは綾部のこと。動物園や植物園、劇場、ケーブルカーなどが書き込まれています。夢や希望が一杯で、勢いがあったことが伺えます。
本社屋は昭和モダン
記念館の隣には、今も本社事務所として使われている昭和8年に建てられた本社屋があります。こちらも大正築の事務所に負けないぐらいステキです。
事務所として現役なので中は公開していないのですが、少しだけ見せてもらいました。なんともいえないグレーブルーのタイルが落ち着いた印象。随所にアールデコの雰囲気がみられます。
(左上)車寄せの天井に付けられた照明。(右上)車寄せの柱は星型!(左下)入ったところは会社の玄関らしく重厚な印象。(右下)1階玄関ホールのステンドグラス。
本社も素敵で、もっと拝見したかったけれど、お仕事中だったので、これにて失礼しました。
他にも蚕に関する資料やグンゼの現在の事業に関する展示も興味深かったです。今はちょうど「あやべグンゼスクエア」では春のばらまつりも開催中。ぜひ合わせて訪れてくださいね。
グンゼ博物苑 展示蔵(創業蔵・現代蔵・未来蔵)、今昔蔵
京都府綾部市青野町膳所1「あやべグンゼスクエア」内
開 10:00〜16:00
休 火曜(祝日の場合は翌日)
料 無料
グンゼ記念館
開 10:00〜16:00
金曜日のみ開館
料 無料
■お問い合わせ
月〜金曜 TEL 0773-42-3181(グンゼ(株)人事総務部)
土・日曜、祝日 TEL 0773-43-1050(グンゼ博物苑)