みなさんは「蹴鞠(けまり)」という日本古来の球技について、どのくらい知っていますか?
平安貴族が興じた優雅な遊び、サッカーの元祖とされる古典的スポーツ、神社の行事など特別な機会に披露される伝統文化……そんな漠然としたイメージにとどまっている方が多いかもしれません。
かく言う筆者もその一人。自慢じゃありませんが、蹴鞠のルールはもちろん、鞠にさわったこともないスーパー素人です。そんな筆者を温かく迎え入れ、蹴鞠のイロハを教えてくださったのが、京丹波・美女山の里で伝統的な鹿革鞠を復活させた鞠師の池田游達(ゆうたつ)さん・蒼圭(そうけい)さん夫妻です。お二人の活動ぶりを通して、蹴鞠の奥深い世界をのぞいてみましょう!
思いやりの精神が宿る、ゆかしきスポーツ「蹴鞠」を体感!
池田游達さん・蒼圭さん夫妻が暮らすのは、京都縦貫自動車道・丹波インターから車で5分ほどのところにある京丹波町・美女山のふもと。無事にたどり着けるかドギマギしながら集落を進んでいくと、ひと目でココだと確信する場所に。鮮やかな鞠装束に身を包んだお二人が表で待っていてくれたのです!
この出で立ちからもわかるように、お二人は長年本格的なお稽古に勤しんできた蹴鞠プレイヤー(鞠足)。これまで下鴨神社の「蹴鞠はじめ」などの名だたる行事に参加し、游達さんは経歴40年を超える大ベテランです。
自宅前には「鞠庭」と呼ばれる蹴鞠専用のコートまで!せっかくなので、ちょっと実演していただきました。
しずしずと鞠庭の中へ進み入り、姿勢を正して向かい合うと、まず游達さんが右足でぽーんと高く鞠を蹴り上げます。と同時に、アリ、ヤア〜!アリ!の掛け声(請い声:こいごえ)が発せられ、鞠を蹴り返す蒼圭さんからはオウ!アリ、ヤア〜!アリ!の掛け声が。こうして互いに声を掛け合いながら「ワルツをちょっと遅くした三拍子のリズム」をととのえ、息を合わせてラリーを続けていきます。
動画でもぜひ、御覧ください!!↓
蹴鞠_KEMARI Japanese Football in Kyoto
玄人のお二人でもラリーを長く続けるのは至難の業。鞠は独特の形をしている上に、右足の親指の付け根あたりで蹴る、膝を曲げずに地面に近いところで蹴る、3回以内に蹴り返すといったさまざまな決まり事もあります。それらを意識しつつ、「相手が受けやすい鞠を蹴る」という思いやりの精神を持ってプレーすることが何よりも大切なのです。
華やかな鞠装束には、蹴鞠の作法に則ったさまざまな工夫が施されています。例えば、鞠水干の両袖の端に付いた「砂擦(すなずり)」と呼ばれるふさは、単なる装飾ではなく、先端を地面につけて基本姿勢を保つためのもの。
「鴨沓(かもぐつ)」と呼ばれる蹴鞠専用の革靴もあります。足先が鴨のくちばしに似ていること、あるいは蹴鞠に縁が深い京都・賀茂の地にちなんで、この名が付いたといわれています。ブーツっぽくて、どことなく異国情緒を感じさせますね。
鞠装束の上下(鞠水干、葛袴)の色合わせも、家元が定める段級制によって細かく決まっているそう。つまり、見る人が見ればひと目で鞠足としてのレベルが判別できる便利なシステムなのです。
池田さんが開催している蹴鞠体験会では、コースによって鞠装束の着装体験もできるので、興味のある方は着付けや着心地も味わってみてくださいね。筆者はこの日、着装の代わりに実技の体験を少しさせてもらいました(普段着+スニーカーでOK)。
が、まともに鞠が上がらない!(涙)基本姿勢や足の出し方などに気を取られ、鞠にコンタクトするのもひと苦労……。でも、無我夢中で鞠を追い続けるのって、純粋に楽しい!!目の前のことだけに集中できるので、気分転換には持って来いだなぁと感じました。
奥深い歴史と精神性に魅せられて、重なり合った二人の蹴鞠ライフ
実技と衣装のあらましを教わったあと、「小竹荘ギャラリー」と銘打った母屋のギャラリーへ通していただきました。室内には、このあとご紹介する游達さんお手製の「鹿革鞠」をはじめ、蹴鞠に関する資料や蒼圭さんが描いた書画などが展示されています。こちらでお二人と蹴鞠の関わりについてお話を伺いました。
まずは游達さんが蹴鞠を始めたきっかけから。游達さんは少年時代から野球に打ち込み実業団チームに所属していたそうですが、20歳でその道を断念。それでも「何か体を動かすことがしたい」と考えていた矢先、たまたま知人の紹介で蹴鞠を見学する機会を得ます。伝統文化や歴史にも興味があった游達さんは「面白そう!」とすぐさま蹴鞠の世界に飛び込みました。
どんどん蹴鞠にのめり込んでいった大工職人の游達さんは、「蹴鞠のために仕事を選んできた」とか。「土日の行事やお稽古の時間を確保しやすい」という理由から大工の仕事を選択し、その甲斐もあって(?)、蒼圭さんという蹴鞠と人生のパートナーにめぐり会うことができました。
「たまたま実家の雨漏りの修理にやってきて、今度、蹴鞠の行事があるから観に来ませんか?って誘われたんです。和の芸事が好きだったので、つい誘いに乗ってしまいました(笑)」
蒼圭さんは子どもの頃から書道や空手、剣道などを嗜んでいましたが、蹴鞠にはほかにはない特別な魅力を感じたと言います。「勝ち負けを競わず、常に相手を思いながら鞠を蹴り繋ぐ蹴鞠道の精神性が心に響きましたね」。以来10年以上、その精神性を胸に刻み、游達さんとともに蹴鞠の上達を目指してきました。
一方、游達さんは蹴鞠にのめり込む余り、蹴鞠の研究にも取り組むように。史料を集めたり、数少ない研究家と交流を持ったりしながら、蹴鞠に関する知識を吸収していきました。特に注目したのは、蹴鞠の歴史的な変遷です。
「蹴鞠は1450年程前に中国から仏教とともに伝来したといわれています。賀茂社の神職から公家に伝わり、平安時代中頃までは貴族の遊びとして流行しました。現在の蹴鞠のイメージはそのあたりでストップしていると思うのですが、実際は時代とともに形を変えながら、武家社会、さらには庶民の間にも浸透し、広く親しまれていた国民的遊戯だったのです」
游達さんによると、蹴鞠の実演で触れたような「蹴鞠道」の基礎がつくられたのは鎌倉から室町時代にかけて。上皇や天皇の前で蹴鞠を披露するため様式化が進んだと考えられています。
ただ、現在の鞠装束や蹴り方(傍身鞠:みにそうまり)は、庶民の間で流行した江戸時代に確立されたもの。伝統文化といえども、時代ごとに新しいエッセンスを取り入れて発展を遂げてきたのです。
そうして蹴鞠の軌跡をたどるなか、江戸時代の京都に鞠をつくる鞠師の工房が数軒あったことを知ります。「昔の製法を調べて自分で作れたら、思う存分練習ができる!」。マイボールならぬマイ鞠欲しさに調査を進めますが、製法に関する史料は乏しく、得られたのは口伝のわずかな情報のみ。「3歳半から4歳の雌鹿の皮」を「糠と塩で揉んで」「半鞣(はんなめし)にする」というものでした。
不思議な縁に導かれ京丹波へ。伝統的な「鹿革鞠」の作り手に!
「半鞣とは一体、どんな状態を意味するのだろう?」。試みようにも、適当な鹿皮を手に入れる術がなく困り果てていた時、小さな新聞記事に目が留まりました。「猟師直伝 ジビエハンターガイドブック」という、京丹波町でジビエの処理施設を営む猟師の著書を紹介する記事です。游達さんはその記事を手に猟師のもとを訪ね、鹿皮を分けてほしいと願い出ました。
鞠づくりの熱意が伝わり、鹿皮の入手ルートを確保できたところに、さらなる朗報が。猟師のつてで京丹波町内の空き家の情報が舞い込んできたのです。2017年当時、お二人は京都市内で暮らしていましたが、住宅が密集する地域で皮の加工をするのは難しく、どうしたものかと考えあぐねていた矢先のことでした。
「新聞記事を見たのが2017年の3月で、京丹波町へ引っ越したのが同じ年の10月。家の売買もとんとん拍子に運んで、今思うと何かに導かれてここへ来たような気がします」
そう話す蒼圭さんも念願の鞠庭や書画のアトリエを持てる新生活に大賛成でした。游達さんは大工経験を活かして家中をリフォーム。納屋の2階に鞠づくりの工房を構え、本格的な鹿革鞠づくりに取り組むこととなりました。
昼も夜もなく工房にこもり、半鞣に挑み続ける毎日。蒼圭さんも心配するほど一心不乱に試行錯誤を繰り返し、2018年2月、ようやく鹿革鞠第1号が完成しました。皮加工の薬品類は一切使わず、昔ながらの材料と手仕事で復活させた鹿革鞠です。
「軽くてしなやかで、蹴った時の反発力もほどよい鞠の感触を思い描きながら、糠と塩の配合や力加減を調節し、自分なりの“半鞣”を再現することができました。しかし3歳半の雌鹿でも個体によって皮の厚みや柔らかさが違うので、同じやり方が通用するとは限りません。毎回手探りなのは今も変わりませんが、最初の頃より形も蹴り味も良くなっているのは自分でもわかります。プレイヤーですからね」
聞けば、江戸時代の鞠師も蹴鞠の名プレイヤーだったのだとか。上手に蹴ることができるからこそ、よりよい鞠になるよう自己研鑽を重ねていたのでしょう。そうやって鞠師がそれぞれ秘伝の技で腕を競い合っていたため、後世に受け継がれなかったのでは?と游達さんは推測しています。
忍耐力が試される!?手仕事本位の鞠づくり
ご覧の通り、蹴鞠の鞠は一般的なものとは違う、独特の形状をしています。まるでマカロンを膨らませたようなフォルムですね。
両側の膨らみは別々にカットした2枚の革でできており、くびれたところに接続用の腰皮が通してあります。その中に殻付きの大麦をぎっしり詰めて“形状記憶”させ、大麦を抜き取るとふっくらとした丸みを帯びた鞠の形に。仕上げに鉛白や卵白などを塗り重ねれば出来上がり!……となるわけですが、この流れで1個つくるのに1ヶ月以上もかかるのだそう。鹿皮の加工期間も合わせると、2ヶ月以上を要する大仕事です。
今回特別に工房の中にお邪魔して、工程の一部を見せていただきました。
工房の一角には鹿革鞠の材料となる被毛付きの鹿皮がずらり!1頭分でも十分な量に見えますが、使えるのは柔らかなお腹の皮のみ。そのため、1頭につき1個の鞠しかつくることができません。残った皮は鹿革鞠を模したストラップや名刺入れなどに活用しています。
これが游達さんが試行錯誤の末にたどり着いた半鞣の工程。厚みの違いを確かめながら柔らかさが均一になるよう丹念に揉みほぐします。これだけでなんと約10日間もかかるという根気のいる仕事です。
革から鞠をつくる最初のステップは、製図と目打ち。鞠革(*)の上に図面を描き、ベルト状の腰皮で括るための穴を開けていきます。使用する鑿は市販品にアレンジを施した游達さんのオリジナル。さすがは元大工さん!
*鞠革(まりがわ):半鞣の鹿革のこと。游達さんの造語
こちらは2枚の鞠革をドッキングさせる括りの工程。体表面を内側にし、前工程で開けた穴に雄鹿の背皮でつくった腰皮を二重に通します。糸や接着剤などは使わずに、鹿革(皮)100%を貫きます!
殻付きの大麦をぎっしり詰めて整形する穀詰(こくつめ)の工程は、叩く・詰めるをひたすら繰り返す地道な作業。工具でトントンと突きながら粒の隙間をなくし、最後は一粒ずつ手詰めで微調整をします。
大麦を詰めた状態で1週間程度置き、表面の布海苔洗いや乾燥などを経て穀抜きの工程へ。游達さんいわく「ゴールが見えてくる、一番ワクワクする作業」です。中に詰めた大麦を抜くだけの比較的簡単な作業ではあるものの、一粒残らず取り出すのに2日はかかるそうです。どの工程も一筋縄ではいかないのですね……。
老若男女が楽しめるKEMARIを伝承の足がかりに!
途方もない手間と労力をかけて作り上げる鹿革鞠。一つまた一つと新作が増えるにつれ、游達さんと蒼圭さんに新たな目標が生まれました。
「游達が復活させた鹿革鞠を後世に伝える『伝承』の取り組みを始めることにしました。鞠づくりのプロセスを映像などに記録すると同時に、みなさんにもっと蹴鞠に親しんでもらえるように生涯スポーツとしてのKEMARIの普及にもチャレンジしているところです」
お二人が提唱する生涯スポーツとしてのKEMARIは、伝統的な作法を基準にしつつも、ひとつの鞠をみんなで一緒に蹴って楽しむ「鞠あそび」。鞠の代わりにカラーボールを使うもよし、室内でプレーするもよし、年齢や性別を問わず誰もが気軽に始められるバリアフリーのスポーツです。
お二人は活動母体の「けまり鞠蹴会(きくゆうかい)」を立ち上げ、昨年度は7ヶ月にわたって町内の道の駅でKEMARI体験会を実施しました。蹴鞠の成り立ちや鹿革鞠の紹介とともに、鞠の蹴り方・楽しみ方をレクチャーしたところ、「蹴鞠って意外と楽しい!」「年配の私でもこれなら続けられる」といった嬉しい反応が返ってきたそうです。
大きな手応えを感じると同時に、資金確保という継続する上での課題も浮かび上がりました。今後はクラウドファンディングによる支援も活かしながら持続的な活動を展開し、京丹波町から国内外に向けてKEMARIの魅力を発信していく構えです。そしていつか、京丹波町に「“蹴鞠の里”を象徴する文化施設をつくりたい」と蒼圭さんは夢を語ります。
「ご縁があってここに来て、人の温かさや自然の豊かさに助けられてきました。何か恩返しができるとしたら、やっぱり蹴鞠しかない。日本で培われた蹴鞠の文化や技術をトータルで発信できる場をつくり、まちの新たな魅力を伝えるお手伝いができたら嬉しいですね」
蹴鞠のいちプレイヤーから伝統の鞠づくりを復活させた鞠師へ、さらには温故知新のKEMARIの伝道師として二人三脚の歩みを続ける池田游達さん・蒼圭さん夫妻。お二人の精力的な活動を拝見していると、“蹴鞠の里・京丹波町”の誕生も夢ではない!と思えてきました。池田さんのもとで蹴鞠やKEMARIを体験し、夢の実現を後押ししてみませんか?
■■INFORMATION■■
けまり鞠遊会(アトリエ蒼天)
住所:京都府船井郡京丹波町上野北垣内13
アクセス:JR胡麻駅よりタクシーで約10分
【体験案内】
「KEMARI」体験
コース1:歴史と鞠装束の体験
蹴鞠の歴史と作法を学び、鞠装束の着装体験も!
コース2:鞠づくりの解説と鞠装束の体験
伝統的製法による鹿革鞠と蹴鞠の関係を詳しく解説
コース3:歴史とけまり体験
蹴鞠の歴史、鹿革鞠について学び、鞠庭で蹴鞠体験!
※雨天時は蹴鞠の歴史とミニ鞠ストラップ作成のワークショップ
※体験の様子はこちらでチェック!
詳しくは、森の京都DMOへお問い合わせください。
TEL:0771-22-9800