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物語と共にたずねる―文学に描かれた、もうひとつの京都

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f:id:kyotoside_writer:20210514230824j:plain京都には文学や物語に登場するスポットが沢山ありますよね。今回は、そんな文学や物語に描かれた京都をご紹介。もしかして、「子供の頃に読んでもらった」「学生時代に読んだことがある」という本が多いかもしれませんが、改めて読み直すと、これがまた新たな発見があったりするんです。 美味しいコーヒーや紅茶を入れて、文学に描かれた、もうひとつの京都を旅しませんか。 
引用はルビを省略させていただきました 

 

日本最強の鬼・酒呑童子伝説が残る大江山(福知山市)
『酒呑童子』

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「そうか、気のどくに。わしらは、その酒呑童子をたいじしにまいったのじゃ。」
 そこでさむらいたちは、そのむすめさんのあんないで、山をどんどんのぼっていった。すると、大きなほらあながあったそうや。

再話・高橋良和「酒呑童子のつの」 『京都府の民話』(オンデマンド版)より 偕成社2000年 46頁

 

日本に鬼伝説は数あれど、京都の鬼伝説といえば酒呑童子(しゅてんどうじ)が有名です。酒呑童子は福知山市・宮津市・与謝野町にまたがる大江山に住んでいたといわれる鬼の頭領、盗賊の頭目。お酒が好きで、夜になると都などから娘をさらっていくので、天皇の命により源頼光、坂田公時、渡辺綱ら6名が山伏の姿に身をやつし、酒呑童子を成敗しに大江山へ向かうのです。
酒呑童子の物語は様々な本に書かれていますが、現存する最古のものでは14世紀の南北朝時代に描かれた香取本『大江山絵詞』(重文)に、この物語が記されています。

 

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左:鬼の足跡、右:頼光の腰掛岩

今も大江山には「鬼の岩窟」をはじめ鬼に関連する痕跡がいくつも残っていて、美しい二瀬川の渓流沿いを散策しながら、「鬼の足跡」「頼光の腰掛岩」を見たり、大吊橋「新童子橋」からの眺望を楽しむことができます。

 

f:id:kyotoside_writer:20210513141513j:plainまた、大江山の中腹には日本の鬼の交流博物館があり、酒呑童子をはじめ鬼について詳しく知ることができます。その先にはウルトラマンのデザイナーで知られる成田亨さん作の「鬼のモニュメント」があり、こちらも必見です。

 

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双子の一人、苗子が暮らす北山杉の里(京都市・北区中川)
『古都』川端康成

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たいていの家は、軒端と二階とに、皮をむき、洗いみがきあげた、杉丸太を、一列にならべて、ほしている。その白い丸太を、きちょうめんに、根もとをととのえて、ならべ立てている。それだけでも、美しい。どのような壁よりも、美しいかもしれない。

川端康成『古都』 新潮社 2018年 246頁

 

幾度も映画やテレビドラマ化されてる川端康成の名作です。
京都市の室町に立つ老舗呉服商の美しい一人娘・千重子は祇園祭の宵山の晩、御旅所で自分とそっくりな娘、苗子出会います。苗子は千重子を一目見て「あんた、姉さんや。」というのです。実は千重子と苗子は北山杉の里で生まれた双子で、千重子だけが生まれてまもなく呉服商の前に捨てられたのでした。
互いにひかれあい、懐かしみあいながらも育った環境の違いから一緒に過ごすことはできない切なさ。京都の名跡や祭り、行事と共に四季折々の風景が描かれた美しい作品です。

 

f:id:kyotoside_writer:20210513143934j:plain北山杉は、桂離宮や修学院離宮をはじめ茶室や数寄屋建築などに使われている建築用材。苗子は、その北山杉を育て加工する里、中川で育ちました。伐採された北山杉は皮をむいた後、さらに美しく磨かれ北山丸太として加工されます。苗子は、ここで丸太を磨く仕事をして暮らしていました。
今も中川に行くと、北山杉を扱う家が川沿いに立ち並んでる様子を見ることができます。近くには小説の中にも登場する菩提の滝や500年台杉、北山杉の母樹がある中川八幡宮があります。

 

安寿が一日三荷(さんが)の汐を汲んだ「汐汲浜」(宮津市)
『山椒太夫』森鴎外 

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浜辺に往く姉の安寿は、川の岸を北へ行った。さて潮を汲む場所に降り立ったが、これも汐の汲みようを知らない。心で心を励まして、ようよう杓を卸すや否や、波が杓を取って行った。

森鴎外「山椒太夫」 『山椒太夫・高瀬舟』より新潮社 2021年 180頁 ”

 

安寿と厨子王の姉弟は、母と乳母と共に筑紫にいる父の元を訪ねて旅をする途中、越後で人買いに騙され、姉弟は宮津市の由良にある山椒太夫の屋敷に、母は佐渡島へ売られてしまいます(乳母は騙されたことを悟り、海に身を沈めます)。
山椒太夫の屋敷で働くことになった姉弟。安寿は汐汲み、厨子王は芝刈りの仕事をすることになります。やがて姉の計画が成功し、厨子王は無事に脱走。国分寺にかくまわれ、その後、京都市にある清水寺へ向かうのです。

 

f:id:kyotoside_writer:20210513144601j:plain由良海岸にある汐汲浜は、安寿が一日三荷(さんが)の汐を汲んだ浜といわれ、森鴎外の文学碑が建てられています。汐汲浜の近くには白砂のビーチが続く丹後由良海水浴場がありますし、車で美しい海岸線を見ながら西へ20分ほど走ると天橋立もあるので、併せて訪れるのもおすすめです。

 

浦島太郎が住んでいた筒川の近くに立つ「浦嶋神社」(伊根町)
『浦嶋太郎』

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丹後の国(いまの京都府北部)与謝郡日置の里(いまの宮津市日置)筒川の村に、日下部首という漁をなりわいとする豪族がすんでおりました。
その先祖に、島子という、顔だちもひいで、すがたもうつくしい、りっぱな若者がおりました。
ある日、島子は、小船を沖へこぎだしました。  
ないでいた海に、三日三晩、糸をたれておりましたが、こざかな一ぴきもつれしまへん。あげくのはてにつりあげたのは、五色のふしぎなカメでした。

再話・斎藤寿始子「浦島子」 『京都府の民話』より 偕成社 2000年 12頁

 

みなさまご存じ「浦嶋太郎」の物語です。日本各地に浦嶋太郎伝説はありますが、『日本書紀』『万葉集』『丹後國風土記』『浦嶋子伝記』などに掲載された話には、日置の里や伊根町の筒川、浦嶋(宇良)神社などが登場します。面白いのは私たちが良く知っている話と少し違い、主人公の名が太郎ではなく、浦嶋(島)子ということ。そしてカメを助けたのではなく、五色のカメを吊り上げています。

 

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太郎が通ったといわれる竜穴

話に登場する筒川のすぐ隣に立つ浦嶋神社には、浦嶋伝説を描いた日本最古のものいわれる『浦嶋明神縁起絵巻』(国指定重要文化財)や室町時代に作られたとされる亀甲文櫛笥の玉手箱など、浦嶋太郎にまつわる様々な宝物を所蔵しています。また、神社に近くには太郎が通ったといわれる竜穴を見ることができます。

Memo 浦嶋神社の宮司さんによると、本では「日置の里」の注釈を宮津市日置としていますが、正しくは伊根町と弥栄町の一部を合わせた地域が日置の里。また嶋(島)子について、「漁をなりわい」と書いていますが、本来は農業が生業だったそうで、この日は楽しみのために漁に行ったのだそうですよ。

■■INFORMATION■■
浦嶋神社 
京都府与謝郡伊根町本庄浜191
0772-33-0721
9:00~17:00
拝観自由、宝物資料館のみ700円

 

主人公が生まれ育った日本海の町に立つ「金剛院」(舞鶴市)
『金閣寺』三島由紀夫 

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“  石段の上には金剛院の本殿があり、そこから左へ斜めに渡殿が架せられ、神楽殿のような空御堂に通じている。その空御堂は空中にせり出し、清水の舞台を模して、組み合わされた多くの柱と横木が、崖の下からそれを支えているのである。

三島由紀夫『金閣寺』 新潮社 2020年 22頁
※ 空御堂=あきみどう
 

昭和25年に起こった金閣寺放火事件を題材に描かれた小説です。金剛院が出てくるのは小説の冒頭部分。主人公の「私(溝口)」が金閣寺へ入る以前、叔父の家に下宿しながら東舞鶴中学校へ通っていた時のこと。「私」を嘲し、軽蔑した美しい娘・有為子が金剛院で脱走兵と命を落とします。小説の中ではこの後、何度も「私」の中の有為子が登場します。

 f:id:kyotoside_writer:20210422134439j:plain初夏の青もみじ、秋の紅葉な金剛院は「丹後のもみじ寺」とも呼ばれ、平安時代初頭に開かれた古刹。重要文化財に指定されている三重塔は平安時代、白河天皇の勅願で建立され、室町時代に再建されたもの。また寺宝も多く、宝物殿に安置されている鎌倉時代の仏師「快慶」作の深沙大将(じんじゃだいしょう)立像、執金剛神(しゅこんごうしん)立像は一見の価値があります。

■■INFORMATION■■
金剛院
京都府舞鶴市字鹿原595
0773-62-1180
9:00~16:00
拝観料 300円(宝物殿は別途500円)

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