京都にあるちょっとディープでマニアックな博物館をご紹介するシリーズの第2弾。
京都府の最北部に位置する京丹後市は、夕日ヶ浦や青の洞窟などの絶景スポットを擁し、また「長寿のまち」としても知られています。今回はそんな京丹後市が誇る、「鳴き砂」、「野球界のレジェンド」、「絶世の美女歌人」に関わるミュージアムにスポットを当ててみました!
京都府のディープな博物館・第1弾はこちらから↓
www.kyotoside.jp見て触って体験できる!鳴き砂の博物館
琴引浜鳴き砂文化館
足をするように歩くと、「キュッキュッ」と音がする、琴引浜。そこから13分ほど歩いたところにある「琴引浜鳴き砂文化館」では、琴引浜の鳴き砂をテーマに、海の環境保全を考える資料や漂着物などの展示をしています。
まずは1階から。入ってすぐのところには鳴き砂を体験できるコーナーが設置されています。鳴き砂を鳴かすには、勢いよくたくさんの砂を動かすことがポイント。かつては「スズメが歩けば砂が鳴る」と言われたほど弱い力でも砂は鳴るので、汚れのないきれいな状態であれば軽く押すだけで鳴かすことができるそうですよ♪
ではなぜ鳴き砂は鳴くのか……。それは砂の中にある石に秘密があります。鳴き砂の主な成分は石英という石で構成されています。渚できれいに磨かれた石英を多く含む砂に衝撃を与えると、表面摩擦が起こり振動して音がする、という仕組み。例えるなら、片栗粉を押さえた時に振動を伴って音がするのと同じ現象です。なので、鳴き砂は常にきれいな状態でないと鳴くことはありません。鳴き砂を楽しむには、海をきれいに保つ必要があるんですね。
また、こちらでは微小貝探し体験もできますよ。大人の巻貝で2~3㎜ほどの小さな貝を顕微鏡で見た後に、砂の中にまぎれた微小貝を探し出します。とても集中力がいる作業ですが、やってみると案外夢中になってしまうのだとか。
続いて2階に行ってみましょう。こちらは琴引浜で見られる貝殻や、一部南国のものも展示されています。こうしてみると、さまざまな生き物が海に生息しているんですね。
こちらの展示物は琴引浜に漂着したものたち。海に捨てられたものはもちろん、陸のごみが川から海へ流れ着いたものがほとんど。流木などの自然物は時間とともに風化していきますが、プラスチックごみは消えるとこはありません。砂浜に不純物が混ざると、鳴き砂が鳴らなくなるので、少しでもごみを減らしていきたいですね。
また、琴引浜で採取された流木や貝殻、シーグラスを使ったクラフト体験も実施しています。自由に貝殻などを組み立てて、オリジナルの万華鏡やキャンドル、フォトフレームを作ることができますよ。予約不要なので、海遊びの際に立ち寄ってみてはいかがでしょう?
■■INFORMATION■■
琴引浜鳴き砂文化館
場所:京丹後市網野町掛津1250番地
電話:0772-72-5511
時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館: 火曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日~1月3日※夏休み期間7月27日~8月17日は無休料金:大人300円、小中学生100円 ※障がい者および介護者1名は無料
野球界のレジェンドの軌跡をたどる
野村克也ベースボールギャラリー
京丹後市網野町にある、丹後地域地場産業振興センター(アミティ丹後)は、地場産業関連の展示物をラインナップした施設です。この中に、日本の野球界のレジェンドともいえる、野村克也さんのギャラリーがあるのをご存じですか?
“ノムさん”の愛称で親しまれた野村克也さんは、1935(昭和10)年に京丹後市網野町に生まれました。貧困生活を送る中で野球選手を目指し、毎日1升瓶に海水を入れて素振りをしていたのだとか。中学・高校時代は、持ち前の運動神経と積み重ねた努力の結果、さまざまな大会で存在感を出し始めます。そして、高校3年生の時に南海ホークスの入団テストに合格し、地元・京丹後市を離れ、プロの道へと進みました。
そんな野村さんは2009年に京丹後市の名誉市民として顕彰されました。そして2018年3月、野村さんから寄贈されたトロフィーや盾、写真などを展示する「野村克也ベースボールギャラリー」が誕生しました。見どころは、なんといっても歴代2位の通算本塁打657本にちなんで657個の野球ボールで作られた柱!こうして並べてみると、迫力がありますね。
野村さんがこのギャラリーに訪れた際、展示されている昔の写真を見て、たくさんの思い出を語ってくれたそう。また、同時代を歩んだライバル・王貞治さんや長嶋茂雄さんには故郷にギャラリーがないので、この施設ができたことに感無量、と喜んでいたそうですよ。
幼い頃からの夢をあきらめずに一流選手にまで上り詰めた野村選手。選手時代に築き上げた功績は数え切れません。監督に就任した後も、経験や勘に頼ることなく、データを駆使して戦略を立てる「ID野球」を日本でいち早く導入したことや、一方で数字にとらわれることなく戦力外になった選手の特性を見抜き、活躍の場を与えた“野村再生工場”など、地元の人にとって野村さんの活躍のすべてが誇りです。
こちらでは野村さんをモチーフにしたばら寿司セットやタンブラー、タオルなどのグッズも販売しています。野球はあまり詳しくない、という人でも野村さんのレジェンド級の活躍を見れば“ノムさん”のとりこになってしまうかもしれませんね。
■■INFORMATION■■
野村克也ベースボールギャラリー
場所:京丹後市網野町網野367
電話:0772-72-5261(丹後地域地場産業振興センター)
時間:9:00~17:00
休館:12月31日〜1月2日(午前)
料金:無料
http://tango.jibasan.jp/baseball.html
謎多き美女の伝承が残る町
小町公園「小町の舎(やかた)」
京丹後市の大宮町は、平安時代を代表する六歌仙の一人、小野小町が晩年を過ごした地と言われています。小町は天橋立への旅の途中に、この大宮町に立ち寄り、再び天橋立を目指して出発しましたが、道中に病に見舞われ道を引き返します。その後、
九重の花の都に住みはせてはかなや我は三重にかくるる
という歌を残し、亡くなってしまいました。
その小野小町にちなんで造られた小町公園の中に「小町の舎(やかた)」があります。こちらでは、小野小町に関わる備品や十二単を着た小町の立像、小町伝説由来記など、小野小町を知ることができるものが展示されています。
小野小町は生没年や出自など不明なものが多く、謎に包まれたミステリアスな女性。素顔についても謎が多いにも関わらず、クレオパトラ、楊貴妃と並び世界三大美女に数えられるほどの美人だったという伝説も残ります。
小野小町が残した歌で有名なのは、『古今集』に記され、百人一首にも選ばれているこの歌ではないでしょうか。
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
この歌は、美しく咲き誇っていた桜も、美しかった自分も衰えてしまったなぁと、過ぎ行く時間を憂いているものです。この歌から「小町=美人」のイメージがついたのかもしれませんね。
こちらでは、常設展示に加え、小町に関連したイベントも多数開催されています。毎年秋には小町ロマン「和の集い」の短歌会、2~3月には、約1000体のひな人形を展示するほか、屋外ステージを利用した音楽イベントも。
また、小町の舎がある小町公園には、回廊付きのイベント広場や展望台、小町が眠るとされている小町塚など、注目スポットもたくさんあります。さらに5分ほど歩けば、小野小町を開基とするお寺・小野山妙性寺(おのさんみょうしょうじ)も!意外と知らない小野小町の歴史をたどってみるのも楽しいかもしれませんね。
■■INFORMATION■■
小町公園「小町の舎(やかた)」
場所:京丹後市大宮町五十河302
電話:0772-64-5533
時間:9:00~16:00
休館:水曜、お盆(8月13日~15日)、正月(12月29日~1月4日)
展示室入館料:大人200円、小中学生100円 ※公園内は散策自由