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京丹後市網野町に惹かれて移住を決意―老舗提灯屋「小嶋庵」の挑戦

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f:id:kyotoside_writer:20211117193758j:plain寺社仏閣の提灯や祇園の「南座」前に掲げられた真っ赤な提灯、ショップのインテリアとしての提灯などを幅広く手掛ける、江戸寛政年間(1789~1801年)創業の小嶋商店。この歴史ある提灯工房の10代目となる兄弟の兄である俊さんが2021年夏、京丹後市網野町に移住し、2021年10月に新たな工房「小嶋庵」を立ち上げました。
なぜ、網野町に? 新しい工房で一体何をしようとしているのでしょう? 移住のきっかけや、その思いについてお話を伺いました。

江戸時代から続く老舗提灯工房「小嶋商店」

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Photo by Masuhiro Machida

京都市東山区の泉涌寺近くで、江戸時代から提灯屋を営む小嶋商店。現在は9代目の父・小嶋護さんと10代目の小嶋俊さん、諒さん兄弟が提灯を作り、兄弟の幼馴染で経営管理や海外PRを担当する武田真哉さんの4人で店を営んでいます。その10代目、兄・俊さん一家が移住したのは丹後半島の付け根、京丹後市網野町の八丁浜から歩いてすぐ、潮の香を感じる場所です。

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京丹後市網野町にある八丁浜。俊さんが一目惚れした海

― 元々、網野町とはご縁があったのですか?

俊さん 僕は網野町が大好きで15年ぐらい毎年、夏になると必ず訪れていたんです。というのも妻のおばあちゃんの家が網野町にあり、妻が子供の頃、夏になるとおばあちゃんの家に泊まって毎日、海に行っていたという話をしてくれ、それを聞いて「行ってみたい!」と思ったのがキッカケです。「小学校の横の道を抜けていくんだよ」と浜辺へ連れていってもらうと、そこにパーっと海が広がっていて「こんなところがあるの?」と思うくらいキレイで感動して、まさに一目惚れしたんです。それで、いつかここに住む! と決めました。

 

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― それが今年(2021年)ついに実現したというわけですね。
移住についてのお話は追々伺うことにして、まずは小嶋商店のお話を伺いたいと思います。小嶋商店は代々、自宅工房で、家族で提灯を作ってこられたんですよね。

俊さん そうです。僕が工房に入ったのは高校を卒業してからですね。当時は祖父と親父、弟と提灯を作っていたのですが、実は当時、まだ1人でご飯が食べられないぐらいの状態だったんです。というのも、うちが設定した提灯の単価が低すぎて、作っても作っても儲からない。ですが、僕も弟も将来は結婚して家庭も持ちたい……だから弟と会計を見直してみたところ、収支が全く合っていなかった。しかも職人気質の祖父と親父は良い品を作ろうとするので、工房で一番売れている提灯は、作る度にむしろ赤字になっていたんです。そこで僕らが食べていける値段を付けようと、京都に住む別の仕事をしている職人さんに計算の仕方を教えてもらいながら価格を見直しました。

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そうすると、徐々に経営者視点を持つ人や資料作成をする人が必要になり、そこで幼馴染であり、ドイツでバリバリのビジネスマンとして働いていた真ちゃん(武田真哉さん)に「一緒に仕事をしたい!」と口説いたんです。そうしたら真ちゃんも「こっちの仕事の方がワクワクする」って言ってくれて。そうして少しずつ僕らのお給料が出るようになったんです。今、思えばよくやっていたなと思います。

どこか無骨でカッコイイ提灯

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PASS THE BATON

― その頃(2015年頃)から京都の祇園にあるセレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」や、お宿の「星のや京都」、宮津市のお酢の老舗蔵「飯尾醸造」など、“インテリアとしての提灯”を見かけるようになっていくのですね。私も初めて見た時、提灯ってこんなにもカッコイイんだ! とびっくりしました。

俊さん あの頃は声をかけてもらったらなんでもしようと思っていた時期なんです。提灯を作るだけでは食べていけなくて、この技術を何か違う形で活かせないかなと探っていたんです。そうしたら様々な職人さんや老舗店の方から、「いや、お前たちが作っている提灯自体がカッコイイんだ」って教えてもらったんです。そこで僕も初めて、自分たちが作っている提灯がカッコイイものなんだと知りました。そんな時、「PASS THE BATON」さんから内装のお声をかけていただきました。

 

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宮津市の「飯尾醸造」に飾られた提灯。
麻の暖簾越しに提灯の明かりが漏れるのも素敵

― あの店内に飾られた提灯は格好良くて衝撃的でしたね。飯尾醸造の飯尾社長も「PASS THE BATON」で小嶋商店の提灯を見てすぐに、これだ! と思われたそうです。この提灯を飾ったら訪れてくださったお客さんに喜んでもらえるなと思い、すぐに小嶋商店さんに連絡したとお話されていました。

俊さん そうなんです。ありがたいことにお店に来てくださって。僕らも夫婦で宮津の蔵にお伺いして、どういうものを作るか相談させていただきました。
試行錯誤しましたが結局、何をしたかといったら今まで通り提灯を作ったってことなんです(笑)。「PASS THE BATON」も「飯尾醸造」の提灯も、いつも僕らが作ってお寺や神社、料理屋さんなどに納めている提灯と同じ物なんですね。今までの仕事のやり方ではキツイからと製法を変えていたら、提灯そのものがダメになっていたと感じています。

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一本ずつ竹ヒゴを木型に嵌めて糸でかがっていきます

― 小嶋商店の提灯の製法とはどういうものなのですか?

俊さん 多くの提灯は1本の長い竹ヒゴを螺旋状に巻いて提灯の形にしていきますが、僕らのは様々な長さに切った竹ヒゴを一本ずつ輪にして和紙で繋げ、それを木型に嵌め、糸でかがって骨組みしていきます。

f:id:kyotoside_writer:20211117201412j:plainこうするとガチッとした、無骨でゴツゴツとした提灯になるんです。僕ら兄弟は祖父や親父がやってきた、頑なで実直なこの製法が好きなんですよ。僕、他にこんなに続いたものってないんです。提灯だけは何か違うんですね。なんでしょうね……分からないですね(笑)。

コロナ禍をきっかけにワクワクする方へ

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八丁浜へは小嶋庵の横の小径を抜けるとすぐ

俊さん 色々なお話をいただき、だんだんと仕事が安定してきて、ここからポーンと次へ行けるぞ! となった矢先、コロナ禍になりました。お祭りやイベントが無くなって提灯の需要が減り、もう一度、商売を立て直さなければいけなくなったんです。
加えて僕自身、「これをやったら多分、こんな感じになるだろうな」と想像が付くようになり、チャレンジ感がないというか、以前のように「これはどうなるか分からない」ということをやらなくなってしまったんです。それで悶々としていたところ自粛期間へ入ってしまい、さぁどうする!?という状況になったんです。

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そこで思いきって、いつも夏に来る京丹後市網野町へと家族で遊びに来ました。その時に見た3人の子供たちの顔、妻の顔、そして「あぁ、やっぱりここが好きだなぁ」と思った自分の心が忘れられなかった。それがトリガーとなり「ここに住むとなったらどうなるやろな」と真剣に考えはじめたんです。
「ここに広い工房があって、子供たちも遊べるとなったら面白いだろうな」と考え始めたら、妄想のスイッチが止まらなくなって(笑)。でも結局、子供たちの楽しそうな顔を見たら「悩んでいる場合じゃない。彼らもあと数年で思春期になるし、行くなら今しかない!」 と思いました。それに後であの時行けばよかったなって思うのが嫌で嫌で。何とかなるか、やるだけやってみようと移住を決めました。

 

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― とはいえ自宅作業場でしかも家族経営で提灯を作ってきたのに俊さんだけ別の工房、しかも京都市内からも遠い網野町への移住を、みなさんよくOKされましたね。

俊さん 最初はみんなから「少し考えろ」と言われたのですが、実は僕らは1人が1つの提灯を最初から最後まで作るのではなく、分業制なんです。僕は竹を割るのが担当。しかも自粛中は各自、材料を持ち帰り、家で作業をしていたんです。だから一緒に作業しなくてもいけるかも、と思ったんですね。
連絡を密にして、僕は竹を割って期日までに京都市内に宅急便で送るのはどうだろう……そうやって夢物語ではなく現実的に可能になるように一つ一つ問題をクリアしていきました。

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1本の竹をナタで割り、竹ヒゴを作っていきます

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様々な長さの竹ヒゴを組んで提灯を作るのだとか。この束1つで提灯1丁できあがります

― 結果的には工房内で分業制にしていたことが功を奏したのですね。

俊さん そうなんです。それで網野町にあるU設計室の設計士さん、京丹後で移住支援などをしている「丹後暮らし探求舎」の小林さん、不動産屋さんと一緒に色々な物件を見てまわり、ある物件を見た時、僕も妻も設計士さんも「ココだ!」 と気に入り、その日のうちに決めました。

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― それが新しくできた工房なんですね。それにしても、この建物は随分天井が高いですね。

俊さん ここは元機織り工場の建物なんです。天井が高く、提灯も吊れるなと思いました。

― 網野町といえば、丹後ちりめんが有名ですものね。

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まちを歩くとどこかから今も織機の音が聞こえてきます

俊さん 実は顔には出しませんでしたが、僕の勝手な妄想で移住してしまったので、家族がこの環境に馴染めるか、心の中ではとても心配していました。ですが、いざ来てみたら地域の人がめちゃくちゃ温かいんです。今では毎日、子供の友達が家や工房に遊びに来ています。

僕も時間の使い方が京都市内にいた時と全然違い、朝7時頃から仕事をして、子供が学校から帰ってきて一緒に遊んだり、僕が仕事をしている隣りで子供たちが宿題をしていて「ここが分からへん~」といっても教えてあげられます。思いきって動いてよかったなと思います。網野町での暮らしで狙っていたのが100点だったとしたら、今は2000点です。2000点っておかしいですけれどね(笑)。

人が集まる場所に

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工房オープンの日、来てくれた方にメッセ―ジやイラストを提灯に入れてもらった

― 小嶋庵を今後、どのような所にしていきたいですか?

俊さん 人が集まる楽しいところにしたいですね。近所の子供たちが「何してるんだろう」「今日もおっちゃん提灯作ってるな」という感じで、パッと入ってこられるようなオープンな場所にしたいと思っています。

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提灯作り体験。数種類ある和紙の中から好みのものを選んで貼ることができます

― 人が集まるといえば、小嶋庵さんでは提灯作り体験もされていますね。

俊さん 妻が担当をしています。子供から年配の方まで気軽にできますよ。今日も午前中、体験の方が来てくださいました。

それから今後、世界中から小嶋商店に来る注文の中でも、ここは決めたい! と思う時に一緒に提灯を作れる人を育成したいなと思っているんです。例えば赤ちゃんがいる方なら赤ちゃん連れで通ってきてもらい、抱っこしながら仕事を覚えてもらう。子供がぐずったら今日はおしまいにしましょうとか、そんなやり方で仕事を覚えてもらっていけたらなと。

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左から職人さんの田中実希さん、奥さんの小嶋宏美さん、小嶋俊さん、職人さんの奥井晴奈さん

― 網野町で新たに職人さんを育てようと?

俊さん そうなんです。そう思っていたら早速、引っ越し2日目に近所に住む赤ちゃん連れの女性がスイカを持って訪ねてきてくださって。すごく良い方で、初めて会ったのに思わず「仕事を一緒にやってもらうことってできませんか?」と声をかけてしまったんです(笑)。そうしたらちょうど近所に同じような友達がいますといって2人で来てくださることになちました。今では妻が彼女たちに技術を教えたりして、みんなでやっています。人にも恵まれて、良いスタートが切れたなと思っています。

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提灯から漏れる灯りが美しいランプシェードと花瓶。
「色々なものを作ってきたいですね」と俊さん

そういえば夏に網野町ではお祭りがあるんです。新しく来てくださっている職人さんは子供の頃からこのまちで育った人ですし、僕ら夫婦は網野町が大好きで移住してきたので「お祭りの提灯を作りたいね」と、みんなで話しているんです。いつか作れるようになったらいいなと思っています。

これから起こる京丹後発のムーブメントに注目

f:id:kyotoside_writer:20211118164506j:plain小嶋庵は今、スタートしたばかり。ですが、小嶋さんご夫婦の人柄も相まって、一年後にはきっと沢山の人が集い、面白いムーブメントが網野町から誕生する予感がしています。京丹後市における小嶋庵の展開をぜひ、KYOTOSIDEでは今後も注目したいと思います。

 

■■INFORMATION■■
小嶋庵 
京都府京丹後市網野町浅茂川266
℡080-3801-3546

提灯作り体験教室の予約、詳細は電話かHPからお問合せを

 

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