湿気をはらんだ夜風にのってコンチキチン♪ の音色が聞こえてくると、いよいよ京都は夏本番。祇園祭のはじまりです。
今年は待ちに待った、3年ぶりの山鉾巡行再開とあって、特別な熱気を感じます。もちろん巡行がお休みの間も、祇園祭の神事は疫病退散を願って粛々と行われていたわけですが、やはりきらびやかで勇壮な山鉾が練り歩く姿を待ち焦がれていた人は多いはず。
さらに、今年はビッグニュースがもうひとつ。それが「鷹山の復活」です!
江戸末期に休み山となって以来、なんと約200年ぶりの巡行復帰!これは見逃せないでしょう!ということで、今回、鷹山保存会の理事長 山田純司さんに、復活までの道のりについてお話を伺いました。
最後の巡行記録は1826年 悲願の復活へ
祇園祭では、前祭・後祭合わせて33の山鉾が巡行していましたが、巡行を行わない「休み山」があるのをご存じでしたか?それが鷹山です。
鷹山は、応仁の乱以前から巡行していた歴史ある山ですが、文政9年(1826年)に暴風雨に遭い、破損のため翌年から巡行を見合わせることに。そして修復の目処が立たないまま、元治元年(1864年)の大火で大部分を焼失。以来、長らくの間、休み山となっていました。しかし、復活を願う人たちの情熱により、最後の巡行から実に196年を経て、ついに後祭巡行復帰への準備が整ったのです。
令和によみがえる鷹山の姿は知と情熱の結晶!
さて、巡行復帰には、まず「曳山」自体を復原する必要があるわけですが、これがそう簡単ではありません。なぜなら、復原しようにも「そもそも鷹山はどんな姿だったのか?」が、誰にもわからない。そこで、専門家の力を借りて大掛かりな調査に乗り出しました。500年も前の古文書や絵図資料、さらには祇園祭の収支を記録した入払帳までも読み解きながら、当時の姿を明らかにしていったのです。
こうして、鷹山の復元図や設計図が完成したのが2018年のこと。金色の装飾が施された大屋根の下に、鮮やかな萌黄の衣装をまとったご神体が鎮座して…絵巻から出てきたような美しさにワクワクが止まりません!
曳山に命を吹き込むのは熟練の職人たち
施工を担当したのは、元禄元年創業、宮大工をルーツに持つ安井杢工務店です(本社:向日市)。ひょんなことから囃子方に参加することになったその人の勤め先が、偶然にも日本を代表する数寄屋建築の名匠だったという運命的な出会い。まさに、神さまが結んでくれたご縁でした。
復原する曳山のサイズは真松まで入れると高さ約17メートル、幅約4メートル、長さ約6メートル、総重量10トンの大スケール。そのため、施工は京都府中部・京丹波町にある広大な作業場で行われました。
大勢の囃子方を乗せられる丈夫な資材の調達が課題でしたが、これには他の鉾から旧部材を提供してもらえることに。サイズも仕様も異なる部材たちですが、細かな調整を重ねて、熟練の職人たちが命を吹き込んでいく。日本が誇る伝統の技ですね。
とにかく狭い!三条新町での「辻廻し」は最大の難所
今年5月には、ついに完成した曳山のお披露目兼試し曳きが実現。風流なお囃子と勇ましい掛け声が京丹波町に響きました。
来る本番に向けて練習を重ねてきましたが、やはり巡行最大の見せ場となる「辻廻し」は、とくに気合の入るところ。しかも、鷹山が辻廻しを行う新町通はとにかく狭い!まっすぐ進むだけでもスリル満点の通りで、90度の方向転換とは…。
鷹山保存会の山田さんいわく、「仮免でモナコ・グランプリを走るようなもん(笑)」。それほどに難度が高いのだそうです。
そのため、毎月の練習に加えて、車方のみなさんは他の山鉾での研修にも参加。「今年は特別にお願いして、前祭での菊水鉾、船鉾、放下鉾の巡行に研修として参加させてもらうことになっています」と山田さん。
200年ぶりに披露される鷹山の辻廻し、ぜひともお見逃しなく!
完全体のお披露目はまだ数年先のお楽しみ
巡行復帰が目前に迫る鷹山ですが、これですべての復原が完了というわけではありません。
「今年は巡行ができる最低限。まだ白木の状態で漆塗りもできていないし、金工品も付いていない。まだまだこれからです」
確かに、先に登場した復原イメージと見比べるとかなりシンプルなお姿。御神体である、鷹遣(たかつかい)・犬遣(いぬつかい)・樽負(たるおい)の衣装も現在製作中で、完成予定は2023年3月頃だそう。これから毎年のようにパワーアップしていく鷹山の姿を見られるのも、新たな楽しみですね。
「僕の代ですべて完成させるつもりはない。今回、一つひとつハードルをクリアしながら巡行に近づいていくのは、苦労よりも楽しみがずっと大きかった。だから、この楽しみを次の世代にも贈りたい」と、話してくださった山田さん。
鷹山の巡行予定は、7月24日の後祭。200年ぶりとなるお披露目は、いよいよカウントダウンです。
■■取材協力■■
公益財団法人 鷹山保存会