トップ京都・平安コラム > 京都の夏と「氷室」のお話〜平安貴族もかき氷を食べていた!?〜

京都の夏と「氷室」のお話〜平安貴族もかき氷を食べていた!?〜

  • Xアイコン
  • Facebookアイコン
  • はてなアイコン
  • Lineアイコン
  • Pocketアイコン
  • Linkアイコン

京都 氷室

暑い夏がやってきました。6月30日は「夏越しの祓(なごしのはらえ)」と言い、半年の厄を払って、夏を無事に過ごせるように願う日です。
京都では氷を模った「水無月」という和菓子を食べる日でもあります。その京都ですが、昔から三方を山に囲まれた盆地ゆえ、夏の蒸し暑さは閉口するほど。昔の人々、特にドラマでも話題の平安時代の人々は、この暑い夏をどのようにして乗り切っていたのでしょうか。今回は、京都の夏の暑さに役立っていた「氷室」についてのお話です。

 平安時代の高貴な人々はかき氷を食べていた?!

あてなるもの… 削り氷(ひ)に甘葛(あまづら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる 

これは『枕草子』の「あてなるもの(=上品なもの)」の中で、平安風かき氷について書いている場面です。削った氷に甘葛(あまづら)という樹液を煮詰めたシロップをかけたもので、新しい金属のお椀に入れたかき氷の様子は、とても上品でエレガントと記しています。

画像提供:「元日節会図」江戸時代・18世紀 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(httpscolbase.nich.go.jpcollection_itemstnmA-9281locale=ja)

画像提供:「元日節会図」江戸時代・18世紀 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(httpscolbase.nich.go.jpcollection_itemstnmA-9281locale=ja)

冷蔵庫がなかった平安時代、氷はどうやって手にいれたのでしょう。
当時、氷は冬の間に出来たものを保存し、夏に取りだして食べていました。保存するのは山の中。穴をほって天然の氷を入れ、板や茅などで覆った氷室(ひむろ)が作られました。
氷室は都の周辺にいくつかあり、毎年、お正月に行われる宮中行事「元日節会(がんじつのせちえ/上記写真)」の際、主水司(もいとりのつかさ)という水・氷の調達や粥の調理を担当した部署の役人が、天皇に各氷室の氷の出来具合や厚さなどを報告する「氷様奏(ひのためしのそう)」を行いました。氷の厚さは五穀豊穣の印でもあったのだそうです。

氷室はどこにあったのでしょうか

  

先ほど、氷室は都周辺にいくつかあるといいましたが、平安時代中期に作られた『延喜式』という書物には、京都だけでなく大阪や奈良、滋賀県を含め10ヶ所の氷室が記載されています。その中の京都市北区西賀茂氷室町にある栗栖野(くるすの)氷室の跡が今も残っていると聞き、行ってみることにしました(住所が氷室町だなんてビックリ!)。

京見峠
栗栖野氷室へは、京都市内から鷹峯の光悦寺を越えて細い坂道を登り、標高446メートルの「京見峠(きょうみとうげ)」を越えていきます。京見峠とは、京都市内と若狭や丹波を結ぶ街道にあり、室町時代には関所もおかれた要所でした。

京見峠

その名の通り京都のまちを見下ろせるような峠で、軍記物語の『太平記(たいへいき)』にも“京中を足の下に見下ろせる峠”として出てきます。今も樹々の隙間からうっすらと市内を見ることができました。

京見峠

しばらく木立の中を進んでいくと、長坂道の標識が。ここから右手の杉坂方面へさらに坂を登っていくと・・

氷室別

「氷室分れ」の標識が現れました。氷室分れという名前の三叉路があるなんて、氷室がいかに重要な地だったのかがうかがえます。
ここからさらに木立に囲まれた道に入っていきます。
細い道はぐるぐるとカーブしながら登っていったかと思うと、今度は再びカーブを曲がりながら降りていきます。すると目の前が開け、田畑や家が見えてきました。

氷室神社と氷室跡がある地へ

氷室神社

集落の中を進んでいくと現れたのが氷室神社。山の中にあり、なんだか良い氷ができそうな、ひんやりとした空気がただよっています。ご祭神は古墳時代の皇族・額田大中彦皇子(ぬかたのおおなつひこのみこ)に氷を作って献上したという稲置大山主神(いなぎのおおやまのぬしのかみ)。創建は不明ですが、由来書きによると、宮中で使われる氷のことに携わっていた清原家が氷室や氷池の守護神として建てたと伝わるのだとか。

美しい桃山風の花鳥彫刻がほどこされた拝殿は、後水尾(ごみずのお)天皇の内裏小御所の庭にあった釣殿の遺構。寄進したのは、徳川家から後水尾天皇の元にお嫁に行った徳川和子こと東福門院と伝わっています。

『拾遺都名所圖會』

『拾遺都名所圖會』(国文学研究資料館所蔵)
出典:国書データベース,https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100240554/200?ln=ja
天明7〈大阪〉河内屋/太助

上の絵は、1787 (天明7)年に刊行された京都の名勝、伝説・名物などを記したガイドブック的な存在の『拾遺都名所圖會(しゅういみやこめいしょずえ)』です。ここに氷室神社と氷室が掲載されていますが、今とほとんど雰囲気が変わっていないようでした。

〇が三つ?

氷室跡

続いて、氷室に行ってみましょう。神社から少し先へと歩いていくと、お地蔵様がおられ、その先に「←氷室跡」と書かれた小さな看板が。
「ここ、入っていいの?」と思いながら恐る恐る入っていくと・・

氷室跡

田んぼが広がっていました。真ん中のあぜ道を歩いていくと、ウグイスの声が響いて、とってものどか。

しばらく歩くと、また看板があり、下の方へ下りていきます。

氷室跡

この上に氷室跡があるようです。一体、どんな感じなのでしょう。

氷室跡

〇が三つ描かれた看板。これによると現在、あるのは3基のようです。

 氷室跡

これは看板がないと、すぐに氷室跡とは分からないような窪地です。ここで氷が保存されていたのですね。今は陽が当たっていて、ひんやり感はありませんでしたが、当時はもっと木がうっそうとしていたのでしょうか。

氷を運ぶ人々は大変

京見峠

ところで、平安時代の代表的な法典『延喜式』によると、氷は4~9月までの間、毎日、宮中に運ばれ、天皇や中宮、東宮、妃、内侍、侍従などに届けられていたのだとか。しかも運ぶ数も決められていたそうです。
今日、ここまで来る道のりは、車とはいえかなりの峠でした。当時の役夫(えきふ)は毎日このような道を歩いて都まで氷を運んでいたのですね。これは重労働だ…。
京都市の仁和寺近くにある福王子神社には、かつて丹波国の氷室から氷を宮中に運ぶ途中で息絶えた役夫の霊を慰める夫荒社があります。やはり死人が出るほど過酷だったのですね。
『源氏物語』では夏の暑い日に、光源氏がご飯に冷たい水をかけ、さらに氷を浮かべて食べるシーンが登場しますが、こうやって運んできた氷だと思うと、なんだか複雑な気持ちがしてきました。

平安時代の氷室に思いを馳せて

平安時代の氷室がどんな姿をしていたのか、今となっては分からないですが、それが少しだけイメージできる氷室が、下鴨神社にあります。
かつて下鴨神社の大炊殿(おおいどの)横には、氷ではなく神饌(しんせん=神様の食事)を保存する氷室がありました。戦時中は防空壕に改造され、戦後は埋められてしまったのですが、2022(令和4)年に再興されました。

建てられたのは「葵の庭」の中にある大炊殿のそば。実際に氷室の中に入ることはできませんが、「葵の庭」の拝観料を納めれば見学することができます。窓格子の間から中を覗くと、ひんやりとした風が感じられました。先ほどの氷室も建物があった頃はこのように、ひんやりとした空気を感じられたのでしょうか。

画像提供:Chiaki SUMIYAMA

宮中では毎年、陰暦6月朔日を「氷の節会」とし、氷室から運ばれてきた氷を口にし、暑気払いをしていました。下鴨神社では、この節会にちなんで6月1日に「氷室開き神事」が行われ、祝詞の奏上の後、野菜や魚、氷が氷室から運び出され、本殿へ奉納されます(写真)。

氷を食べたくなったら

かき氷

画像提供:さるや

氷室を見たらなんだか、かき氷が食べたくなってきました。
下鴨神社の境内に立つ茶店「さるや」では古事にならい、暑い夏を平穏無事に過ごせるようにと「鴨の氷室の氷」(1000円)と名付けたかき氷を販売。抹茶小豆、黒蜜白玉、いちごの3種類あり、初雪のような純白の氷が絶品ですよ。

水無月

ところで6月30日、各神社では半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越しの祓(なごしのはらえ)」が行われます。京都ではその日、夏の無病息災を願って食べられるのが和菓子の「水無月(みなづき)」です。
かつて貴族たちは氷を食べて暑気払いをしましたが、庶民はそのような高価なものはいただけません。そこで代表品として氷に見立てて三角形の外郎を作り、上に魔除けの小豆を載せた「水無月」が作られたのだとか。
みなさまもぜひ「水無月」を食べて、今年の夏を乗り切りましょう!

■■INFORMATION■■

氷室神社
京都府京都市北区西賀茂氷室町

栗栖野氷室
京都府京都市北区西賀茂氷室町20

 

下鴨神社
京都市左京区下鴨泉川町59
075-781-0010
:0017:00(神事等により変更の場合有り)
休憩処さるや
京都府京都市左京区下鴨泉川町59 下鴨神社境内
090-6914-4300
10:0016:30
無休

 

  • Xアイコン
  • Facebookアイコン
  • はてなアイコン
  • Lineアイコン
  • Pocketアイコン
  • Linkアイコン

京都×平安コラム

平安時代の七夕に迫る|冷泉家と「乞巧奠(きっこうてん)」

京都の夏と「氷室」のお話〜平安貴族もかき氷を食べていた!?〜

【端午の節句】源氏物語にも登場した薬玉(くすだま)を作って厄払い!

劇中に登場する“平安時代の文学作品”をざっくり解説

特集

公式アカウントをチェック!

ページトップアイコン