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梅林崖長と行く!博覧会×京都・ゆかりの地をめぐる〜岡崎編〜

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第1回2回では、京都における博覧会の歴史をひも解いてきましたが、今回はいよいよ現場調査へ! 京都市左京区にある岡崎エリアは、明治時代から昭和初期にかけ、数々の博覧会会場となった場所。そんな岡崎エリアを都市史、景観史に詳しく、またタモリさんの某番組にも度々ご出演されている京都高低差崖会崖長梅林秀行さんと歩いてきました!!

京都市左京区の岡崎エリアで行われた博覧会は

先に京都市左京区の岡崎エリアで行われた博覧会をちょっとだけおさらいしておきましょう~。
1895(明治28)年 「第4回内国勧業博覧会」(以下、内国勧業博覧会
1915(大正 4)年  大正天皇の即位大礼を記念した「大典記念京都博覧会」
1924(大正13)年  皇太子時代の昭和天皇のご結婚を祝して開催された「東宮殿下御成婚奉祝万国博覧会参加50年記念博覧」
1928(昭和 3)年   昭和天皇の即位大礼を祝した「大礼記念京都大博覧会」
また京都博覧会は、1897(明治30)年に岡崎に建てられた博覧会館で、1914 (大正3)年以降は京都市勧業館で開催されるようになりました。

博覧会の足跡を訪ねて岡崎エリアを探検

大鳥居

というわけで今回は、岡崎エリアで初めて博覧会が開かれた、第4回内国勧業博覧会を中心に探検していこうと思います。梅林さんとは三条神宮道の交差点で待ち合わせをして、いざ出発です。

ちょっとだけ、おさらい

歩きだそうとした時、「ここから平安神宮の方面を見てください」と梅林さん。
早速、何かあるのでしょうか。あれ? よく見ると、なんだか神宮道が微妙にカーブして、平安神宮の大鳥居なのに奥に見える応天門と位置が揃っていない…気がします。
この道は1895(明治28)年、平安神宮ができた際、その参道として造られた道です。わざわざ新しく造った道なのにまっすぐ通っていないなんて、ちょっと変ですね。
「そうなんですよ、僕も歩いていて気が付いたんです」

地図

出典:国土地理院ウェブサイト(https://www.gsi.go.jp/riyousya01.html)地理院タイルを加工して作成

「実は当初、平安神宮は粟田門前通の延長上に建設を予定されたのですが、敷地内に古塚が見つかったんです。どうもそれが後三条天皇の御荼毘所(火葬塚)と理解されて、この塚を保護するために西に移動したんですよ」
そんな出来事があったのですか! だから微妙に道がカーブしているんですね。

慶流橋

さて、神宮道を歩き疏水にかかる慶流橋(けいりゅうばし)へやってきました。
慶流橋は内国勧業博覧会会場の正門へ向かう橋として、1894(明治27)年にかけられました。後に鉄筋コンクリート製になりましたが、欄干に付いている擬宝珠(ぎぼし)は当時のまま。

慶流橋

「ここ、みてください。擬宝珠に銘文が書かれているんです」
あ! 何か書いてありますね。この銘文は平安京を造営した桓武天皇をたたえるとともに、平安神宮創建の慶びが書かれているそうです。

慶流橋

あれ? よく見ると“市民という文字が刻まれていますよ。こういうオフィシャルなところで市民という文字ってあまり見ない気が。なんだか新鮮な感じがします。
「そう! 気が付きました? これ、僕が知る限り初めて公共のものに“市民” という言葉が刻まれた例ですね。ですが現在の意味と若干、違うような気がしています。今は市民というと権利があり、自己決定できる社会の構成員をいいますが、当時の資料を読んでいると、京都に住んでいる人を市民と表現している印象を受けます。そして博覧会という行事が  “市民” という言葉を定着させていく気がしますね。大体、その前の江戸時代は住民が主語にはなりえないですからね。市民とは新しい言葉なんですよね」
なるほど、市民という新しい価値観や言葉が定着するような気風が流れていたわけですね。この擬宝珠の銘文に新時代の幕開けを感じさせられます。

博覧会場

青木恒三郎 著『京都名所案内』,山田直三郎,明28.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765618 (参照 2025-02-19) を加工・加筆して作成

地図

出典:国土地理院ウェブサイト(https://www.gsi.go.jp/riyousya01.html)地理院タイルを加工して作成

慶流橋を渡り、かつての博覧会場内に入ってきました。
「上の図が内国勧業博覧会の会場図です。下の地図と見比べてみると、今、私たちが立っているのは、橋を渡った先の噴水あたりということが分かります」
ここには潮干狩りをテーマとした大噴水があって、両側には各府県の売店が立ち並んでいたんですね。想像するだけでワクワクしてきます。

桑田正三郎 編『第四回内国勧業博覧会写真』,[ ],明28. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/801928 (参照 2025-02-19) を加工して掲載

こちらは当時の写真。左側の道に市電が走っていますね。右奥に見える高い建物が表門。あれ、そういえば平安神宮のシンボル、大鳥居がありませんね。

「そう。大鳥居(写真左)は内国勧業博覧会の時に造られたのではなく、1928(昭和3)年の昭和天皇の大礼記念京都大博覧会の時に造ったものなんですよ」
社殿と大鳥居はセットで造られていなかったんですね。右の絵を見ると分かるように、内国勧業博覧会の時は現在、大鳥居が立っているあたりに表門が立っていました。

時代の空気を見つける

京都市京セラ美術館

さて、京都市京セラ美術館にやってきました。この美術館は1928(昭和3)年、昭和天皇の即位大礼を祝して計画され、5年後に開館しました。内国勧業博覧会の時は売店が並んでいた場所だそうです。
「ほら、ここを見てください。門のプレートの上の文字が取れているでしょ」
これは経年劣化で文字が取れているのかと思ったのですが、違うんですか?
「実はここには大礼記念京都美術館と書いてあったんですよ。戦後、GHQに接収された時に遠慮して、大礼記念 の部分を取ったんですね」
よく見ると、確かにうっすらと文字が見えます。そのような理由で文字を外したとは、歴史を感じさせられます。

京都市京セラ美術館

「建物の方は昭和初期の空気感が良く出ていますよね」
当時、モダニズム建築が流行した一方で、日本らしさを出そうという動きが台頭してくる時代。それをどうやって表現したかというと、近代的な鉄筋コンクリートビルの上に瓦をのせたそうで、確かにモダンな洋風建築の上に瓦がのっています。
「これが当時の“和風”という認識だったんですよね。この建築を帝冠様式というんですよ」
戦争に向かって高揚していく中で、当時の人々が思う近代と日本らしさがミックスした和洋折衷だったわけですね。

京都市京セラ美術館

「この掲示板も帝冠様式ですね」
これも当時のままのものなんですね。今も大事に使われているなんて、嬉しくなります。

博覧会は近代社会も運んでくる

青木恒三郎 著『京都名所案内』,山田直三郎,明28.4. 国立国会図書館デジタルコレクション httpsdl.ndl.go.jppid765618 (参照 2025-02-19)

さて、いよいよ内国勧業博覧会のメイン会場・工業館が立っていた辺りへやってきました。庭園があるのは今の二条通あたりでしょうか。庭園を中心にぐるりと建物が囲うデザインになっています。結構、広いですね。

岡崎公園

「広場(庭園)の中央に立って、ぐるりと見渡すことで全ての建物を一人の人間の視野に収めることができる。これが近代社会ですね。身分もなく、さまざまな人が均等に一つの社会を構成する。その社会は1つの視点から作り上げられているわけです。非常に見通しのよい社会です。監獄と同じデザインなので、半面、息苦しさもありますけれどね」
博覧会をきっかけとして近代化が進んでいくわけですね。

博覧会はパラダイス ―大典記念京都博覧会

「そうそう、これ、ご存知ですか?」
このレンガの造形物、岡崎公園に来る度に気になっていたんです。何なのでしょうか。
「これは1915 (大正4)年、大正天皇の即位大礼を記念して開催された、大典記念京都博覧会の時の電灯の台座なんですよ」
今はありませんが、上に電灯が付いていたのだとか。こんなおしゃれな台座だったんですね。

京都市 編『大典記念京都博覧会報告』,京都市,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/944446 (参照 2025-02-19)

疏水で発電された電力で、おしゃれな電灯が灯っていたと思うと、博覧会場ってなんだかパラダイスのよう。大典記念京都博覧会の全景写真を見ても夢があり、未来に向かっていく希望を感じますね。

京都市 編『大典記念京都博覧会報告』,京都市,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/944446 (参照 2025-02-18)

こちらは、その大典記念京都博覧会の時の会場図です。この頃になると二条通ができて、区画が今の形に近いですね。あ、よく見るとビアホールクラブや演技館、活動写真(映画)もあります。とても楽しそう!
「そうですね。博覧会は盛り場ですよね」
面白かったんでしょうね~。
この先は裏門。そして平安神宮の応天門へと続きます。 

・・という訳で、今回の「岡崎編」はここまで!
次回、いよいよ平安神宮と、京都御苑へ調査に行きますよ。お楽しみに!

◾️◾️取材協力◾️◾

梅林秀行さん梅林秀行
京都ノートルダム女子大学客員教授。京都高低差崖会崖長。関心分野は都市史、景観史。なにげない地面の高低差をはじめ、さまざまな視点からまちなみや風景、人びとの営みを読み解く。歴史地理に関するテレビ番組に多数出演。主な著書に『京都の凸凹を歩く 』1・2(青幻舎)。

 

 

 

 

 

 

 

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