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伊賀越えの道をめぐる ~徳川家康が走り抜けた京田辺市編~

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2023年のNHK大河ドラマの主人公であり、戦乱の世に終止符を打って江戸幕府初代将軍となった徳川家康。天下人として名高い家康が、かつて命懸けで脱出を図った「伊賀越え」の道が京都府南部の山城地域にあることをご存知でしょうか。
この話には諸説あり、明確なルートは解明されていませんが、今回、伊賀越えの際に通ったとされる京田辺市をガイドの方に案内してもらいながら歩いてきました! 地域に残る伝承とともに、京田辺市の魅力や見どころスポットを紹介します。

徳川家康 決死の「伊賀越え」とは?

1582(天正10)年、6月2日に起きた「本能寺の変」。当時、織田信長の勧めで堺(大阪府)を遊覧していた徳川家康は、京への上洛途中に明智光秀の襲撃によって信長が本能寺で討たれたことを知ります。 

信長と同盟関係でもあった家康にも、光秀に討たれる危機が迫ります。少数精鋭のお供しか連れずに行動していた家康は、光秀に対抗するのは不可能と考え、自らも知恩院(京都)で自刃することを選択しましたが、本多忠勝らの説得により自国領の岡崎城(愛知県)への帰還を決意します。

山城から近江の甲賀・伊賀を通り、伊勢から三河へ船で渡る最短ルートを選択するも、道中には家康の命を狙う落武者狩りなどの危険が伴いました。この危険な道のりを、土地に詳しい案内者を使うなどして決死の覚悟で3日かけて逃走したといわれています。

いざ出発!! 家康が走り抜けた伊賀越え伝承の地

今回、案内していただいたのは、京田辺市観光ボランティアガイド協会の田原さん(右)と近藤さん(左)のお二人です。取材当日は近鉄新田辺駅で待ち合わせをして、京阪バスに乗ってまずは尊延寺へと向かいました。

枚方市の古刹 尊延寺からスタート!

今回の旅のスタート地点である尊延寺は、731(天平3)年に宣教大師が勅願によって建立された歴史あるお寺です。家康は堺から京都への上洛途中、本多忠勝から本能寺の変の知らせを受け取ったあと、伊賀越えを開始する際にこの尊延寺地区を通ったといわれているそうです。
※尊延寺は、京田辺市に隣接している大阪府枚方市にあります。

いよいよ伊賀越えルート突入にあたり、安全を祈願してお参りをしてからスタートしました♪

尊延寺をあとにし、自然豊かな田園地帯を歩きながら京田辺市内の伊賀越えの道をどのように見つけたのかを聞いてみると、なんとガイドさん自ら史実や伝承などを参考に歩いて探したのだとか! なかでもこれから向かう甘南備山(かんなびやま)には、雰囲気たっぷりの伊賀越えの道があると聞いてわくわくしながら進んでいきました。

てくてくと道なりに歩いていましたが、突然草木が生い茂る脇道に入り、どんどん進んでいきます。個人で訪れたら「ここ入っていいの?」 と不安になりそうな道です。さすが、歩いてルートを探したガイドさんならではのコースだと感じました。

家康も身を潜めて進んだかも? 甘南備山の谷間を行く

辿り着いたのは、標高221mの雄山と201.6mの雌山からなる京田辺市唯一の独立峰である甘南備山。ここは古くから神の宿る山として信仰の対象となっていたそうです。この雄山と雌山の谷間に家康一行が通ったのではないかと思われる道があるそうです。

その谷間に差し掛かると檜に囲まれた、まさに雰囲気たっぷりの場所がありました。人目を避けて逃げるには良さそうですが、追手を気にしながら走るには厳しい山道。この道は、当時でも地元の人の先導がないと見つけることができなかったのではないかともいわれているそうです。
「伊賀越えっぽい道だ!」と感動しながら歩いていると、自然と家康一行がこの道を進むイメージが湧いてきました。

そしてこの場所から少し進んだところに、右側に川が流れ、左側に竹藪の道があるのですが、この道は山岡荘八さんが書いた『徳川家康』文庫版8巻に出てくる伊賀越えの描写に非常に近いスポットなのだとか。事前に本を読んでから歩くのも楽しそうですね。

甘南備山を抜けて次のスポットを目指していると「あれ、比叡山だよ~」とガイドさんが教えてくれました。まさか京田辺市から比叡山が見えるとは思ってもいなかったので「おぉ~」と歓声をあげながら写真をパシャリ。

神様は男? 女? お酒の神様を祀る酒屋神社

道中、ガイドさんに案内されて酒屋神社に立ち寄りました。灯籠が立つ境内入口の右手には不思議な木が…。どてっと横に倒れた幹を別の木が支えるこの木は「持ちつ持たれつの木」というそうです。なんだか支えている木の方の負担が大きそうですが、気のせいでしょうか……。

参道を奥に進むと酒屋神社の鳥居が見えてきました。こちらの神社には神功皇后が三韓征伐(さんかんせいばつ)の際にお参りをされた時の酒壺がおさめられているらしいです。

創建年月などは不詳ですが、本殿は1876(明治9)年に再建されたもので、一間社流造の屋根に特徴があり、千鳥破風と軒唐破風を配したものは山城地域では珍しいのだとか。

ちなみに千木の形が「外削ぎ」か「内削ぎ」で神様の性別がわかると教えていただいたので確認してみると、先端が地面に対して垂直に削られた“外削ぎ”だったので、こちらの神様は男性のようですね。

境内は緑が多く居心地の良い場所だったので、神様にご挨拶をさせていただいてから、しばし休憩タイムです。

奈良文化の北の端! 大御堂観音寺

次に訪れた大御堂観音寺は、京田辺市で唯一の国宝である十一面観音立像がご本尊のお寺です。昔、このあたりは奈良・興福寺の北の果てといわれており、観音寺も興福寺の別院だったそうです。そういった時代背景があるためか、文化の面でも観音寺は、奈良文化と京都文化の境界に位置しているのだとか。

また、奈良の東大寺二月堂で行われる「お水取り」では観音寺周辺の竹林で切りだした真竹が寄進されているそうです。

家康一行は伊賀越えの途中、観音寺には立ち寄ってはいないだろうとのことですが、すぐ近くを走る府道65号線のあたりを通ったのではないかと考えられているそうです。

昼と夜で表情が変わる!? 寿宝寺の不思議な観音さま

観音寺から65号線を木津川に向かって歩くと、寿宝寺というお寺の前を通ります。

こちらのお寺にある重要文化財の十一面千手千眼観世音菩薩立像は、なんと昼はキリッと男性的、夜は優しく女性的な表情に変わる不思議な仏像として地元で親しまれるそうです。
十一面千手千眼観世音菩薩立像についてはこちらの記事でご紹介しているのでチェックしてみてくださいね↓

【京都通】ならおさえておきたい京都府の珍しい仏像 厳選3選

仏像の宝庫・京都で、一度見たらずっと心から離れない選りすぐり仏像をご紹介します! 本当に1000の手を持ち、昼夜顔が変わる!?平安時代の千手観音 十一面千手千眼観世音菩薩立像(重文)@京田辺市「寿宝寺」 十一面千手千眼観 […]

さて、京田辺市の伊賀越えの旅もそろそろ終盤に差し掛かかり、私たちは家康と縁深い穴山梅雪のお墓を目指しました。

穴山梅雪のお墓と飯岡車塚古墳

ガイドさんに「ここでは静かにね」と案内してもらったのは、飯岡地区にある共同墓地。こちらの一角にひっそりと佇む五輪塔は、家康の伊賀越えに同行していた武将・穴山梅雪のお墓だそうです。堺での遊覧に同行していた梅雪は、本能寺の変の知らせを受けると、家康を脱出させるために2組に分かれて一行のしんがりを務めたそうです。家康の一日遅れで同じ道筋で帰城しようとしたところ、一揆に追われ、飯岡の渡しで自害しました。飯岡の村人は、梅雪をこの地に手厚く葬ったといわれています(諸説あり)。

その後、梅雪の墓はこちらの共同墓地の一区画に移されたそうです。

共同墓地の目の前には、全長81mの前方後円墳「飯岡車塚古墳」がありました。京田辺市で一番大きい古墳だそうですが、全体が綺麗な茶畑になっているため、気付かずに通り過ぎてしまいそうです。こちらの古墳では1902(明治35)年の発掘の際に、勾玉などの多くの玉石製品が出土しています。スポットを巡っている道中、何度か「ここ、古墳ですよ」と教えてもらったのですが、実は京田辺市には古墳がたくさんあるそうです。

(通称)舟形公園と 飯岡の渡し場跡

穴山梅雪のお墓から少し離れたところに飯岡の渡し場跡があります。てくてくと歩いていると船の形をした公園が見えてきました。ここは目の前に木津川サイクリングロードがあり、サイクリストたちも利用する絶好の休憩ポイントなのだとか。

この一帯には飯岡丘陵があり、丘陵地に広がる茶園では覆下栽培による玉露生産が盛んにおこなわれており、玉露の郷として日本遺産にもなっています。

サイクリングロードを少し進むと目的地の飯岡の渡し場跡がありました。家康一行が通った渡しの候補地は、飯岡の渡し(京田辺市)・草内の渡し(京田辺市)・山田の渡し(精華町)の3か所あり、ここはその一つだそうです。ただ、家康一行は宇治田原町も行っているので、草内の渡しがルートとしては有力なのだとか。
と、いうことで、いよいよゴール地点である草内の渡しに向かいます!

京田辺市伊賀越えの道ゴール地点! 草内の渡し場跡

飯岡の渡し場跡から堤防沿いを歩いて行くと、じりじりと近づく最終地点! ついにゴール地点の草内の渡し場跡に到着です!
木津川の渡しがある草内は、「くさじ」または「くさち」と呼んでいましたが現在は「くさうち」と呼ばれています。家康一行は山城の宇治田原城主の山口甚介の出迎えを受けて無事に通過することができたそうですよ。私たちも無事にゴールに辿り着き、京田辺の伊賀越えの旅はここで終了です。

みなさま、伊賀越えの道のりはいかがでしたでしょう? なんせ明確なルートは解明されておらず、諸説あり!  の道のりです。今回のルートには組み込まれていませんでしたが、京田辺市の宇頭城を通って観音寺に出たという説などもあるそうですよ。
 
私たちは京田辺市観光ボランティアガイド協会さんのおすすめコースを案内してもらいましたが、個人でガイドをお願いする際は、お1人500円(3人以下はグループで1500円)の「お好みツアー」というコースで相談しながらルートを決めることができます。およそ1.5時間、2.5時間、3.5時間のコースを基に、行ってみたい希望の場所を組み込んでルートを紹介してくれるので、京田辺市を巡りたい時はぜひ相談してみてくださいね。
注意:7・8月は猛暑のため、ボランティアさんによるツアーガイドはお休みです。秋の再開をお楽しみに!

【家康の伊賀越え#2】京都府宇治田原町編もぜひチェックしてみてください!

https://www.kyotoside.jp/entry/20221110/
 
■■INFORMATION■■
京田辺市観光協会/京田辺市観光ボランティアガイド協会
所在地:京田辺市田辺中央4丁目3-3
電話:0774-68-2801
営業時間:9:00~17:00(月曜・年末年始休)
京田辺市観光協会:https://kankou-kyotanabe.jp/
京田辺市観光ボランティアガイド協会:https://kyotanabe-guide.com/
※ガイドのご依頼は京田辺市観光ボランティアガイド協会のHP、
またはメール(guide@kankou-kyotanabe.jp)にてお申し込みください。

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