長い歴史の中でいくつもの建造物が現代に残る「京都」。新しく建てられたもの、中には当時の趣を残し、再建されたものも数多くあります。様々な状況で現代に残る建造物の魅力。KYOTO SIDEではこれまで取り上げてきた記事の「歴史的建造物」をまとめてみました!中世編に続き、近世編は江戸時代をピックアップ!!
時代の変革期を超えて残る建造物
天下分け目の天王山に建つ「自玉手祭来酒解神社」
羽柴秀吉と明智光秀の戦い「山崎の合戦」の主戦場である大山崎町の天王山。頂上付近にある「自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ)」は、創建年ははっきりとしませんが、奈良時代には既にあったと伝わっています。現在の本殿は1820(文政3)年に再建されたもので、登録有形文化財に指定されています。
古代の姫が創建した「竹野神社」
丹後町の「竹野神社(たかのじんじゃ)」は第9代開化天皇の妃であった竹野媛(タカノヒメ)が天照皇大神を祀って創建したといわれる神社です。神社建築としては珍しい向唐門があり、現在の社殿は江戸時代の1830(文政13)年に再建されたもの。本殿は簡素な流れ造りで、向唐門とともに京都府登録文化財に指定されています。
京都の裏鬼門を守る「石清水八幡宮」
都の裏鬼門にあたる八幡市男山に鎮座する「石清水八幡宮」。京都屈指の厄除け神社としてしられるこちらの社殿は、江戸時代初期に造営。本殿の前後二棟からなる八幡造の社殿建築様式は希少で、本殿含む10棟が1つの建物のように組み合わさっており、国宝に指定されています。
霊元上皇によって奉納された長岡天満宮の「石鳥居」
長岡京市のキリシマツツジの名所として知られる「長岡天満宮」。柳谷道沿いにある北東の入り口に建てられた鳥居は、1692(元禄5)年に霊元上皇によって奉納された石鳥居です。もともとは2基ありましたが、2018(平成30)年の台風被害で倒壊。現在は記念モニュメントとして参道脇に残されています。
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古代編
中世編
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